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2012年01月17日

あの日から17年

後2ヶ月もすればきっと、”あの日から1年…!”と言って、朝から晩まで至る放送局で大々的に東日本大震災の話題が取り上げられる事でしょう。しかし、今朝のテレビを見る限り、東京発の番組で、その大半が震災の話題で構成されている事はありませんでした。まあね、浜崎あゆみの電撃離婚や地中海の遊覧船の座礁事故、凶悪な殺人事件も絶え間なく起きている最中ですから、無理もないのかも知れません。
けれど、流石に関西発の番組では、その特集は全て阪神淡路大震災の話題でした。そう、あの日から17年、お陰様でというべきなのでしょう、今やすっかりその傷跡は癒え、神戸は歴史の中にも近代化の進む美しい港町となっています。でも、私たち関西人はみんな知っています、あの街が一度消滅した街である事を…。
1995年1月17日、奇しくも今日と同じ火曜日でした。時間は早朝の5時46分、その日は早出だった健康通は、ちょうど当時住んでいたワンルームマンションの小さなキッチンで、お弁当を作っていました。卵焼きを焼くコンロの前に立ち、すぐ脇に置かれた冷蔵庫の上の電子レンジが前夜の残りの野菜炒めを温め直していたのを覚えています。その時でした。後ろで掛かっていたテレビから突如、”地震です!!”という叫び声がしたのです。ただ、その番組は震源地に近い大阪から生放送していましたから、今日とではまだ何事もなかったんですね。勿論、揺れていないものを驚くとか慌てるとかいう事は出来ません。ふんという感じで再びキッチンの方に振り返った瞬間、大きな揺れが遅い掛かりました。
ああいう時って、咄嗟に何をするかというのは、はっきり言ってマニュアル通りには行かないものなんですよね。ちょうどコンロの前に立っていたから、思わず火だけは止められたという感じで、電子レンジが動いていた事は、チ~ン!と鳴って初めて気が付きました。あんなに大きな音で動いているのにも関わらずですよ。
まあそれと正直言って、普段の地震と同様にすぐ収まるだろうという楽観的な固定観念もあったんですね。だから、その場にじっと立ったまま様子を伺っていたのですが、揺れは止まるどころか、次第に激しくなり、天井の照明が音を立てて前後左右に大きく揺れていました。それを見た瞬間、今思えばやっとですね、恐怖を感じて、部屋の隅のベッドの中に潜り込んだのをはっきりと記憶しています。多分揺れの時間としては1分もなかったとは思うのですが、その短時間の中に、様々な思考と言動があった事を思い出すと、たかが1分、されど1分というそれは実に長い時間だったのだろうと想像出来ます。その証拠に、揺れが収まったあと、人々が途轍もなく長い時間を掛けて築き上げたものを全て破壊してしまいました。
マグニチュード7.3、死者 6,434名、重軽傷者43,792名。約80万世帯が全半壊を初めとする何らかの建造物に対する被害を受けました。数字だけで見ると、勿論昨年の東日本大震災の方が遙かに大きいですし、津波や原発による被害も一切ありませんでした。
が、しかし、当時の被害の中心となった神戸は、人口150万人を超える大都市で、その人口密度は仙台市の2倍以上にも上ります。当然、大阪に次ぐ関西のビジネスのメインタウンでもありましたから、もし、あの地震が、今回の地震と同じ時間帯に同じだけの範囲で起こっていたらどうなっていたでしょうか? まず、大阪や京都も有にその範囲に含まれます。となると、高速道路上や新幹線の中、そして市街地で普通に仕事や勉強や買い物や観光をしていて犠牲となった他府県の人も多かった事でしょう。それを思うと、あの午前5時46分という時間そのものが多くの人々の命を救った事は容易に想像出来ます。
私はね、ある意味、あの震災は一つの神のお告げだったのではないかと考える時があるんですよ。実際問題、余りにも長閑な地域で大きな震災があっても、都会暮らしの定着している人々はそれほど重視しない。かと言って、いきなり首都東京で真っ昼間に巨大地震を引き起こしては、どれだけの犠牲者が出るか分からない。そこで、早朝に程よい都である神戸の街を襲ったのではないかってね。
実際、あの震災以降、都市型災害が一気に注目され、様々な改正が行なわれました。この間の震災を見ていた限りでは、皆さん恐らく気が付かれなかったと思いますが、自衛隊や緊急医療チームが震災直後に現地入りし、当たり前のように救助活動をしていたじゃないですか。でも、神戸の時は、あれが当たり前に出来なかったんです。面倒な縦割り行政や様々なお役社のプライドが邪魔をし、本格的な救助活動が始まったのは、災害から何時間もたった昼頃からだったんですよね。その事が明らかに犠牲者の数を増やしました。
また、一段落してからの復興についても、神戸の悲劇を再び招かないようにという事で、随分いろいろな工夫が凝らされています。
もし、17年前の今日、私たちがあの大震災を体験しなければ、きっと昨年の東日本大震災では、さらに多くの命が奪われていた事でしょう。これまであの阪神淡路大震災は、国内最大の震災でした。だから、毎年1月17日という日に神戸の街に注目が集まっていました。でも、昨年の東日本大震災が起こった今年、この日の神戸に目を向ける人の数は激減しました。けれど、今日という日があって、今の日本があるという事を関東の方々にも決して忘れないでいただきたいのです。
健康通は、以前の旧健康通日記の時代にも、この日には必ず阪神淡路大震災の事を書いていました。そして、新健康通となって初めての1月17日もやっぱり書きます。そしてそして、これからも毎年書き続けて行きます。それが私たち阪神淡路大震災を体験した関西人の任務だと思うからです。
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