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2011年08月02日

恐怖の花火大会

今日はもう朝からバテバテ(..;)。まだ8月は始まったばかりだというのに、今からこんな状態では、1ヶ月間乗り切れるのかなぁ^.^;。取り敢えず今夜はウナギを食べて、元気回復しなくっちゃ(*^。^*)。
入社以来この3年間、数々の餌食取材をこなして参りました健康通でございます。でも、これだけは絶対に行きたくなかったという取材先に、ついに昨日送り込まれる事となりました(/_;)。
PLの花火大会です(☆。☆)。
事の発端は、地元東大阪から南大阪一帯でビジネスを展開していらっしゃるクライアントさんが、今週末発行の自社のメルマガに、是非地元の一大イベントであるPLの花火の話題を載せたいとおっしゃったところにあります。だったら自分で見に行けよ~! と言いたいところなんだけど、それが言えれば苦労はしないという事で、すったもんだのあげく、我が編集部では一番丈夫そうな副編集長と私のパワフルコンビで行く事となったのであります(;゜ロ゜)。
仕事でPLの花火大会に行くと聞くと、周囲の友人知人はみんな、いいなぁ! 羨ましいなぁ!! 自分も行きたいなぁなどとあっさり行ってくれますが、一度でもあの往復の道中の地獄を体験したものは、それでも何が何でも行きたいと思うか、はたまた、もう絶対に行きたくないと思うかのどちらかなんですよね(*_*;。とにかく花火大好きで、どんなに仕事が忙しくても花火取材となるとスケジュールを調節してくっっついて来るうちの旦那ですらも、PLだけはパス! と言い切ります。
まあ特に京都からだと、地図で見るとそうでもないのですが、公共の交通機関や車で行こうと思うと、結構手間が掛かるという難点もありますしね。何せ、最寄り駅は近鉄長野線という河内長野の方へ行っている路線の富田林駅1ヶ所! 普段は周囲の駅からも結構路線バスが出ているのですが、この日ばかりは周辺の道路規制があまりにも激しいため、全て運休してしまいますから、選択肢はただ一つ、このローカル列車で行くしかないのであります(*_*)。おまけに、周辺道路の交通規制は他のイベントのように、開催時間プラス前後の2~3時間なんて可愛らしいものじゃなく、周辺の歩道橋は当日の午後1時から翌朝の7時まで実に18時間も使用禁止になる始末で、当然道路そのものも早々夕方の4時頃から日付が変わる頃まで通行止めとなってしまいます。だから、路線バスを運行したくても運行出来ないのです。そのため、近郊の学校や公共施設等は、午前中で閉鎖! クラブ活動や下記講習などもみ~んなお休みになっちゃうんですよ(・。・)。
それでも、何が何でも毎年見に行きたいと思う人が後を絶たないから、この恐ろしいほどの人出は絶えない訳で、確かに目の前で見ると、その理由はよく分かります。だからこそ、さっき言ったように、両極端の選択肢が生まれるんでしょうね(*^_^*)。
でも、このPLの花火大会、実は世間一般に言う公共の花火大会ではなく、立派な宗教行事で、正式には「教祖祭PL花火芸術」と言います。そう、ある意味、一つの企業、まあこの場合は宗教法人という事にはなりますが、そこが勝手にやっている謂わばごく内輪の年中行事の一つにすぎないんですよ。ですから、通常の花火大会ガイドには掲載されていない事も珍しくありません。しかし、その規模が中途半端ではないところから、いつしかすっかり有名になり、今では日本中から一目PLの花火を見ようという人が押し寄せるようになりました。結果、今のように、人出も中途半端ではない大規模なイベントとなってしまったのであります。
そんなこんなのPLの花火、主催しているのはその名の通り「パーフェクト・リバティー教団」という宗教団体。通称PL教の相性で親しまれ、高校野球の名門校PL学園を運営する大正時代に立教された神道系の宗教団体です。だから、PL学園の卒業生である元プロ野球選手の清原和博さんや桑田真澄さんは、きっと熱心な信者なんでしょうね、分からないけど…(^_-)-☆。
でもって、そんな宗教団体が、なんでこんなド派手な花火大会を開くようになったかと言いますとですね、初代の教祖様、御木徳一(みきとくはる)先生がですね、”自分が死んでもこの教えが世に広まるのであれば、死ぬことは世界平和のためになるから、どうか自分が死んだ後は嘆いたりせずに、花火を打ち上げて盛大に祝ってくれ!”と言い残されてあの世へ旅立たれたらしんですよ。そこで、そんな父の遺言を守るべく、第2代教祖として後を継いだ息子の徳近(とくちか)さんは、1953年の夏、自分たち親子の生まれ故郷である愛媛県は松山の教祖祭において、初めて花火を打ち上げました。何を隠そう、これが第1回のPL花火大会です。
けれど、実は実は、徳一先生が亡くなったのはそれより15年も前の1938年7月6日でした。ただ、その時息子の徳一さんは、な・なんと、塀の中にいて、花火どころではなかったんですねぇ。
1916年、父の所属する大阪の徳光教会教師となった徳近青年は、1925年、父と共に「御嶽教徳光大教会」を設立し、1931年には「ひとのみち教団」を開教。これが今のPL教の前身で、5年後の1936年の秋には父の後継者として第2代教主に就任します。
ところがところが、ちょうど時を同じくして、お隣京都府では、霊能者出口なおに降りたらしき国祖、国之常立神の神(くにのとこたちのかみ)を立教の原点とする教派神道系の教団「大本教」が急速に発展し、事実上の教祖と呼ばれていた出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう)は、エスペラントという新たな言語を導入するとともに、ラマ教との提携をし、さらに、当時の右翼の黒幕らとの交流を確立させ、昭和神聖会を結成。軍事教練などを施したり、資金や人院の提供をする事で「昭和維新」を実現しようと企てていました。そこで、1935年の暮れ、内務省警保局長直々の支持のもと、徹底的な弾圧を実行。所謂第二次大元事件が勃発する事となったのです。
こうして、国家は大本教の壊滅に成功した訳ですが、似たような新思想を持つ宗教団体をのさばらせておく事は非常に危険だと考えたのでしょう。翌1936年9月、当時まだ教祖に就任したばかりだった徳近を捕獲するため、ひとのみち教団盛岡支部長の15歳の娘に対する強姦容疑という事件をでっち上げ、大阪府警特高課に逮捕させました。さらには、1937年、教義が皇室に不敬であるとの理由により、幹部13名に加え、もうすでに引退していた徳一をも治安警察法違反容疑で検挙。見事教団を解散に追い込んだのです。これが「ひとのみち事件」ですね。
その後、父は翌年体調不良を理由に釈放される事となりますが、厳しい取り調べによって齎された肉体の衰弱は回復する事なく、自宅療養中に帰らぬ人となります。結局、このえん罪事件は、一度は有罪判決が出されたものの、1945年、マッカーサーの司令によって無罪確定という形で幕を閉じました。
そして、無事釈放された徳近氏は、1946年、パーフェクト・リバティー教壇を設立、再び教祖の座に返り咲き、自身の宗教活動を再始動させたのであります。そしてそして、ようやく父の念願は叶い、1953年の夏、初めての花火が打ち上げられる事と相成りました。
以後、亡き初代教祖を偲ぶ真夏の炎の祭典は、大阪の本部で開催される事となり、満10周年を迎えた1963年には今の「教祖祭PL花火芸術」という正式名称が誕生! みるみる関西の夏の風物に発展したのであります。
まあね、好奇心旺盛な方は、是非一度見に来られてはいかがかとは思いますよ。百聞は一見にしかず!! はっきり言って、先週末神宮で打ち上げられてた花火がいかに可愛らしいものかというのが一瞬にして痛感出来る事でしょう。ただ、健康通的には、どんな豪快な花火よりも、今はラミチャンの一発が見たい心境なんですけどね(#^.^#)。
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