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2011年10月03日

先見の目が大事

昨日は取り敢えず負けなくて良かったと思うべきなんだろうけど、勝てなかった事はやっぱり悔しい--#。だって、昼間横浜では首位のヤクルトが、甲子園では2位の中日が勝っていたんですよ。一昨日も話した通り、何がなんでも東京ドームでクライマックスシリーズを開催したいジャイアンツとしては、ここは上位2チームに差を開けられないようにするためにも、絶対に負けられない一戦でした。
絶対負けられない一戦という位置付けで言うと、勿論、引き分けでもOKという事にはなるのですが、中日が勝ったという事は、4位の阪神が負けたという事で、Aクラス入りを1日も早く確定させるためにも、どうしても勝ちたかった試合を引き分けに持ち込まれてしまった! これはいかん、これではいかんという訳で、健康通は負けなくてもぼやいているのであります(`ヘ´) プンプン。。
しかし、阪神さんのAクラス入りは正直、もうかなり苦しくなりましたねぇ(^0^;)。3位の巨人と首位ヤクルトとのゲーム差が5.5なのに対し、4位阪神と3位巨人のゲーム差もまた5.5!! クライマックス進出の夢は、正しくクライマックス進出の夢になってしまったようです( ̄0 ̄)。
そんな虎キチの皆さんから見ても、まだまだ厳しい状況にある巨キチから見ても、実に羨ましいのがホークスファンの皆さんです(☆。☆)。ただ、ホークスはこれからが本当の意味での試練のシーズン! 何しろこれまで13回日本シリーズに出場していますが、セリーグの代表を打ちのめして正真正銘の日本一になったのはたったの4回(・。・)。さらに、2004年以降パリーグで導入されているポストシーズンのゲームでは、実に6回も出場しているのにも関わらず、一度も征する事が出来ていないのです。つまり、ペナントレースや交流戦のようなそこそこ長いシリーズでは実力が発揮出来るが、短期決戦には弱いという現状があるんですよね(*_*;。それを考えると、ホークスファンは、これからが眠れぬ日々かも知れませんね^.^;。
さてさて、話は変わって、今日10月3日は「ノーカーデー記念日」です。ノーカーデー、あるいはノーマイカーデーと呼ばれるこのキャンペーンは、環境問題や交通渋滞の緩和をみんなで真剣に考えようという日ですからね、当然、日本がアメリカ並みの車社会になった現代社会に登場した新しい試みだと思いますよね。
ところがところが、このノーカーデーが日本に始めてお目見えしたのは、今からちょうど40年も前、1971年の今日、10月3日の事でした。当時はまだまだ車もテレビも一家に1台というのが当たり前の時代でしたからね、ちょっと意外なような気もします。
けれど、これは当時まだのどかだった京都で幼少期時代を過ごしていた健康通が勝手に思っている事で、実は東京の杉並区では、もうすでに前年の1970年には我が国最初の光化学スモッグによる被害が出ていたそうです。そこで八王子市では、”交通戦争1日休戦の日”というスローガンを掲げ、毎週水曜日を自動車移動自粛の日とする運動を開始しました。当時の八王子市長と言えば、今の毎日新聞社の前身である東京日日新聞の記者から政治家になった植竹圓次氏でしたからね、1961年2月の就任以来、「学園都市」・「工業都市」・「観光都市」・「消費都市」の四重都市構想を立ち上げ、意気揚々と新しい街作りが進められていた訳ですよ。
また、元新聞記者という肩書きが物語るように、実に頭が切れ、筆も口も立つ新市長の誕生に市民もそれなりに盛り上がっていたようです。というのも、この植竹市長、歌もうまけりゃ踊りもうまく、別名”おまつり市長”の異名を持っていたんですねぇ。そこで早速自らが市長になった年の夏休みに、今や東京を代表する夏の地域イベントとなった八王子祭を開始し、早々市民の心を掴む事に成功しました。
その後、工学院大学や東京工業高等専門学校、あるいは東京造形大学といった理系や芸術に特化した学校、さらには明星大学や国学院大学といった著名な私立大学への誘致に動き、1つ目の目標である学園都市と2つ目の目標である工業都市の途上に勤しみました。まあ今は國學院は撤退していますが、他の学校の八王子やその周辺のキャンパスはまだまだ健在ですからね、今なお続く立派な学園都市と言えるでしょう。
また、それと平行して行なわれていたのが中央自動車道と多摩ニュータウンの建設で、正しく消費都市の実現に向けての構想も着々と進められていたのであります。
こうなると、もう後は目指すは観光都市としてのイメージ作り! そのためには、まず八王子はクリーンな街であるという事をアピールしなければなりません。このクリーンな街というイメージは、他の学園都市や消費都市を工業都市でありながらもさらに発展させて行くという面でも非常に重要なキーポイントでした。そこでひらめいたのが親切運動!! 思い立ったが吉日とばかりに植竹市長は、東京五輪を控えた1964年5月、これまた全国初の”八王子市親切都市宣言”を行ったのであります。そして、ついでに”花いっぱい運動”も実施! もうここまで来ると、市長の独断と偏見によるクリーンな街作りのアイデアはとどまるところを知りません。
ついに1971年秋にはノーカーデーを提唱し、翌1972年には、毎月第3日曜日に甲州街道の一角を使ったさらに身近なノーカーデーを開催。今でも考えられない約1.8キロに渡るノーカー区間を設立してしまったんですねぇ(゜Д゜)。勿論車の通らなくなった幹線道路は市民の歩き放題の場となり、たちまちジャンボ歩行者天国となりました。ただ、こうなると、そのノーカー区間に位置する商店は非常に潤うのですが、エリア外になってしまう周辺の店舗からはお客が減少してしまいます。今のような大型ショッピングモールなどまだまだ少なかった時代、地元の商店街の権力というのは、政治家にとっては非常に重要なパワーでしたからね、流石に敵に回すのはヤバいと思ったのかどうかは分かりませんが、この計画はほどなく廃止になってしまったようです(?_?)れ。
されど、当時植竹市長は、東京都市長会会長を務めたり、全国市長会の評議員・理事を務めたりした実績を持っており、4期目の市長選制覇も濃厚だと見られるほど、知名度と信頼度の高い存在でしたからね、彼の提案したノーカーデー運動は、その後日本中の自治体に広まって行ったという訳です。
ただ、やはり甲州街道でのノーカーデーの実施に対する反発が精神的にも肉体的にも堪えたのでしょうか!? 同年の暮れ、突如体調を崩して入院。翌1973年に行なわれる任期満了による市長選で4度目の当選を目指す事を表明していましたが、残念ながら断念し、後は亡くなる1977年まで、ずっと病床にふけっていらしたそうです。しかし、今こそ本当に日本はノーカーデーを必要としています。それを考えると、やはり植竹圓次氏という男は素晴らしい先見の目の持ち主であった事は間違いないでしょう。
野球もそう、やはり司令官の先見の目なくしては、いい結果は得られないのです。特に明日がない短期決戦ともなると、監督の頭の切れが全てとも言えますからね、秋山監督には、これまでのクライマックスになかった高機能な監督采配を是非見せていただきたいものですね。ただし、巨人の原監督には、さらにそれを上回る頭脳展開で、残りのペナントレースとクライマックスシリーズ、そして日本シリーズを征していただきたいと心から願う巨キチ健康通なのであります(*^。^*)(*^。^*)。
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