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2013年02月17日

古稀祝い

今日2月17日は、アメリカのIBMの創設者で初代社長でもあるトーマス・J.ワトソン氏が生まれた日! また、昨年中国人として初めてノーベル賞を受賞した作家、莫言(ばく・げん、)氏の誕生日でもあります。
そして、我が日本国ではと言いますとですねぇ、今から遡る事ちょうど70年前の1943年のこの日、一人の名も無き男が生まれました。彼は今も尚、全国的には全くの無名のまま(:_;)。しかも、晩年病気になり、視力を完全に失ってしまいましたが、しっかりと立ち直り、今は堂々と余生を生き抜いています(・・||||rパンパンッ。
という事で、健康通たちは、この間の3連休最終日に、そんな名も無き男の古稀の祝宴を設けました。何故なら、99.999パーセント以上もの日本人にとってはどうでもいい男でも、我々仲間にとっては大切な友人だからです。
が、しか~し、そこで健康通はふと考え込んでしまったのであります(*_*)。ほら、還暦は赤い頭巾とちゃんちゃんこを着せてお祝いするじゃないですか。でも、古稀は一体全体何するの?
皆さんだってそうじゃありませんか?? おじいちゃんやおばあちゃん、それに健康通位の年齢になると、父親や母親の古稀の祝いをしなくっちゃ!!っとは思っても、何をすればいいのかが分らなくて困った経験ありませんか??
そこで調べたところ、そもそも「古希」というのは簡略的表記で、正しくは“古稀”と書くのだそうですよ。ただ、この“稀”という字、健康通はちょっと意外だったのですが、常用漢字ではないんですねぇ(゜д゜)。そこで近年では、しばしば希望の“希”という字を遣うようになったようですが、これはあくまでも当て字なので、ちょっと賢く見られたいなぁと思う人は、正しく“古稀”と書くようにしましょう(^_^)V)。
因みに健康通は、最初からずっと“古稀”だと思い込んでいました。何故なら、嘗てうちの優秀なATOKにそう教え込まれたからです。
とは言え、希望の“希”という自我遣われるようになったのには、それなりの理由があります。もうお気付きかと思いますが、その訓読みはどちらも同じで“まれ”! そうなんです、人生50年と言われていた時代には、70歳まで生きる事自体が稀で、古稀はそのスーパー老人のスーパー長寿を盛大に祝ったものなんですね(^0_0^)ナルホド。
古稀の“稀”の字の謂われは、中国4000年の歴史が誇る唐の時代の詩人:杜甫(ト・ホ)にあると言われています。この杜甫は、漢詩における近体詩の代表的な形式である律詩(りっし)を大成させたと言われる詩人で、今でも中国文学を代表する人物として「詩聖」と称されているそうですよ。
そんな杜甫は、「曲江(きょっこう)」という詩の中に、
“酒債は尋常行く処に有り、人生七十古来稀なり”
という一説を残しています。これは、酒代のつけは私が普通行く所にはどこにでもあるが、70歳まで生きる人は古くから稀であるという意味。
実際、清の国の第6代目皇帝:乾隆帝(けんりゅうてい)は、その生涯を88歳という稀に見る長寿で終えたため、自らを“古稀天使”と名乗り、この通称の印鑑まで使用していたというから驚きです。しかし、当時の皇帝の中で満70歳を過ぎるまで生き延びた皇帝は本当に数名で、しかも、国を支配する王者ともなると尚更の事! やはりストレスも多かったのでしょう、乾隆帝以外には見られないと言われています。となると、その長寿を自慢したくなるのも当たり前だったのかも知れませんね(--)(__)。
また、古稀の元となる詩を作った杜甫自身、59歳でこの世を去っており、古稀どころか、還暦すら迎えていない事になります。ただ、彼の場合は、自らその寿命を縮めたのだと思われる部分も多々あります。というのも、彼自身40歳半ばから夜な夜な酒を飲み歩き、至るところにつけを滞納していました。そう、この詩は正しく自分の環境を文字にして表したものだったんですねぇヽ(^^)(^^)ノれやれ。それでも、それこそ人の命は短いものなんだから、花の奥で蜜を吸う揚羽蝶や水面で軽く尾を叩き緩やかに飛ぶトンボのように今のうちに精精エンジョイすべし! そして、そんな邑楽かな心で虫や草木に語り掛けようではないか!? 時は何もしなくても流れるのだから、しばしお互いを褒め称え、争いを忘れる事も大切なのだ!! こんな精神を貫き通し、この詩を書いたのだと言われています。まあ一説には肉の食べ過ぎでお亡くなりになったとも伝えられている杜甫さん、例え古稀まで生き延びられなくても、常に希望に満ちあふれた幸せな人生を送っていらっしゃったのかも知れませんね。
それに、日本でも昔は人生50年と言われていましたから、平安時代には万40歳で祝う「五十八の賀」というのがあったそうですよ。40歳なのに58の賀とはこれいかにと言った感じですが、恐らく当時は70歳まで生きるのは夢また夢!! でも、やはりそれまで生きたいという事で、正しく70歳は希望の光だったのかも知れません。そういう意味では、古希という表記は十干が湧いて来るものがありますよね。
因みに、還暦は60年間生き抜いた後に赤子に返るという事で、万60歳、即ち数えの61歳で祝うのが仕来りだそうですが、古稀は最初から数えの70歳、つまり69歳のうちにお祝いして上げるものなのだそうですよ。しかも、その理由は至って簡単で、69歳の誕生日には健在でも、70歳の誕生日にはもうこの世にいない確率も低くないからだそうです。そして、祝いの色は何故か紫。なので、周囲に69歳の人がいたら、さり気なくパープルのハンカチなどをプレゼントして上げるといいかも知れませんね(*^_^*)。
ただ、我々の会においては、例え主役が還暦であっても、古稀であってもやる事は一つ、ひたすら飲んで食べて騒ぐだけです。
しかも、古稀の本来の慣わしが明らかになると、あらら大変(*_*;。うちの会には、只今古稀まっただ中の69歳のおっさんもいるではありませんか(゜ω゜)。だったら、彼こそが本当の古稀の祝賀会の主役でねえのっていう事になってねぇ、まあ今年お祝いしておけば、来年はもうしなくてもいいし、ついでに片付けちゃえってなもんで、昼日中から盛大に宴を楽しんだのであります。
まあね、中身はさておき、ああやって仲間と美味しいお酒を飲みながら美味しい物を食べて、思い切り笑える事が人間何よりの幸せであり、最良の長生きの秘訣とも言えるでしょう。私たちも2人に続けとばかりに、益々元気に頑張らねばと思った健康通りなのであります。
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Posted by 健康通 at 23:32Comments(0)生活

2013年02月15日

韓流バレンタイン

昨日はバレンタイン! 今日あたりはまだ、ニヤニヤしながらチョコレートを食べている男性陣も多いのではないでしょうか? だとしたら、食べ過ぎて虫歯や糖尿病にならないように、くれぐれもご注意を…(*^_^*)。
それに、今食べているそのチョコ、大抵の人は大半が義理なんですよねぇ(=^_^;=)。
今や義理チョコは、職場だけでなく、家庭の中にもしっかりと入り込んで来ています。うちの娘なんぞは、毎年旦那宛に不二家のハートチョコレートを1枚、郵便で送って来ます。あの不二家のハートチョコレート、元祖バレンタインチョコとも言える一品で、昔はそこそこの大きさがありましたが、今では非常にコンパクトになっています。ですから、普通郵便で十分送れるのです。おまけに1枚80円という安さ!! もう義理中の義理には最適と言えるでしょうね(ーー゛)。
でも、バレンタインのチョコレートなんて、みんな義理でいいんだと健康通は思いますね。だって、考えてもみて下さいよ、本命チョコをいくつももらったらどうします? それこそ贈り主の女性たちから袋叩きのめに遭っちゃいますよ。そもそも本命チョコはお一人様おひとつでないと問題な訳ですからね(◎-◎;)ドキッ!!。
ただ、それでは世のお菓子会社やデパートなんぞは困り果ててしまいます。やっぱバレンタイン商戦を盛り上げてもらうためには、ガンガン義理チョコが飛び交わないといけない訳ですよ。という事で、うちの旦那も、一応いくつかもらって来てましたよ、完全なる義理チョコ!! で、
“おかしいなぁ、どれにも「愛」の文字がない!”
とぼやいておりました。当たり前だっちゅうの。義理チョコに愛もへったくれもあるかってねゞ(+ヘ+)``米。そこにあるのは、ただひたすら義理だけ!! そして、一番大きな超義理チョコは健康通からのプレゼントなのであります。ああ、この日に本命チョコをヤツにやってた時代が懐かしいなぁ(^0^;)。
ところで、このバレンタインにチョコレートを送る習慣、以前
新健康通日記:Happy Valentine's day!
でもご紹介した通り、日本ではすっかりお菓子業界のイベント化している訳ですが、お隣韓国ではもっと派手にバレンタイン大策戦が繰り広げられているのだそうですよ。何を隠そう、うちの副編集長は韓国育ち、ホテルマンだったお父さんの仕事の都合で、中学から高校までの6年間をソウル市内で暮らしていた人です。今でも現地には非常に友達が多く、常に最新の韓流情報というのが入って来ます。
そこでバレンタインについていろいろ尋ねてみたところ、日本人の健康通には考えられない、いや余り考えたくもないようなサプライズが一杯(゜д゜)。今日は一日遅れの健康通からのプレゼントとして、そんな韓国の暑いラブ大策戦をご紹介した胃と思います。
韓国では毎年、1月後半になると本格的なバレンタイン商戦が始まるという事で、普段はチョコレートなんて取り扱わない雑貨屋や米カリー、ドラッグストアの店頭もたちまちスイーツショップに早変わり!! スーパーやコンビニの前ではお菓子メーカーのキャンペーンガールなどが出て来て、様々なイベントが繰り広げられるそうです。まあそんなのは日本でもよくある話ですが、韓国ではそうした実店舗以外にも、期間限定のチョコレートワゴンが多数路肩に並ぶそうですから、日本とは業者の入れ込みようが違いますよね。正しくワゴンセール三昧で、まとめ買いすれば、どんどん値切れるという噂もあるそうです。実際、韓国にも義理チョコの習慣はあるらしく、このワゴンセールを賢く利用する女性が多いとか・・・!? 思えば俺も、ワゴンセールのチョコを随分もらったっけかなぁ!!っと副編集長が懐かしそうに話してました(;゜ロ゜)。
しかし、本命に対する入れ込み用は日本を遙かに上回るものがあって、まず韓国では見た目が大事! それも、とびきりゴージャスに渡すのが愛の印と考えられているそうです。なので、バレンタイン商戦を繰り広げるショップの店頭には、必ずチョコレートと一緒にバスケットやギフトボックス、それに様々なデザインのラッピング用紙やリボンが並んでいると言います。そして、チョコレートと一緒にそれらのラッピング用品を買い求め、一回りも二回りも大きく演出してからプレゼントするのが一般的だと言いますから驚きですよね。マジで、中には中身より外側の包みの方が高価な贈り物もあるらしいですよ。
また、最近はライターや財布、それに下着などをチョコと一緒にラッピングし、ボリュームと愛情をさらにアップさせる女性も多いらしく、韓国の小売業界にはなくてはならないイベントになっているようですね。
それを思えば、日本のバレンタインはまだまだ可愛らしいものでしょう。出来る事なら、これ以上派手にならないで欲しいと願う健康通なのであります^.^;。
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Posted by 健康通 at 21:51Comments(0)暦&歳時記

2013年02月02日

正しい恵方

明日はいよいよ節分です。なんだかんだ言っても、やっぱ楽しみだなぁ、恵方巻きo(^-^)oワクワク。
ところで、節分に恵方巻きと称して太巻き寿司をまるかぶりする習慣は、今や全国的にすっかり定着しましたが、肝心要のその恵方って、一体全体なんぞやなぁ? そんな風に思われた事はありませんか??
恵方とは、皆さんもきっとご存じだとは思いますが、十二支とは切っても切れない縁にあります。前回の
新健康通日記:節分の豆まき
の中で、節分に大豆を撒くのは古代中国の引用五行思想に端を発しているらしいという事をチラッと書きましたが、今回問題になっている恵方は、正しくその引用五行思想そのものなのです。
そもそも陰陽五行は中国発祥の自然哲学の一つで、若者たちに儒教の精神を伝授する明経道や律令を伝授する明法道と並ぶ、ある意味独特の考え方です。しかし、元々陰陽五行は読んで字のごとく、陰陽道と五行説がドッキングした思想。そして、陰陽道というのは、暦に纏わる天文思想と考えていいでしょう。
そんな陰陽道では、毎年その年の干支に基づいた幸運の方角というのがあって、それが恵方! “吉方”や“兄方”などとも書きますし、“明の方(あきのかた)”などと呼ぶ事もあります。
そして、この恵方には歳徳神という神様が住んでいらっしゃると考えられているのです。ですから、当然、何事をするにも吉の方角と言えるでしょう。
ここだけの話、初詣も本当は氏神様じゃなくて、その年の恵方の神社に行った方がいいそうですよ(*^_^*)。
また、これとは全く別に、「九星・気学(きゅうせい・きがく)」と呼ばれる生年月日の九星と干支、それに引用五行思想の五行思想の方を組み合わせて方位のいいか悪いかを調べる方法もあって、その占術の本命星と恵方が一致したら、そこは完全に大吉スポット\(・o・)/ワア!あい。素敵な出会いが待っているかも知れませんよ\(^^)/。けれど、その反対に、九星の悪い星と恵方がピッタリ一致してしまったら、そこは大凶スポットという事になってしまって要注意(◎-◎;)ドキッ!!。なるべくなら近寄らない方にするのが賢明だと言われています。
でもって、その年の恵方は、「十干(じっかん)」によって決まるんですけどね、その十干っというのは、“甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸”の10個の要素の順列の事。そう、ほら、よく干支の前に付けますよね、丙午とか、以前、
新健康通日記:今日が誕生日!
でご紹介した甲子年(きのえねのとし)のように…。
因みに、北を0度と定め、東を90度、南を180度、西を270度と設定した場合の十干から弾き出した恵方は次の通りになります。した場合、恵方はそれぞれ以下のようになる。
子…0度・癸…15度
丑…30度・艮…45度
寅…60度・甲…75度
卯…90度・乙…105度
辰…120度・巽…135度
巳…150度・丙…165度
午…180度・丁…195度
未…210度・坤…225度
申…240度・庚…255度
酉…270度・辛…285度
戌…300度・乾…315度
亥…330度・壬 345度
そしてそして、今年2013年は丙の年ですから、165度の方角という事になりますね。こういう年はよく、“今年の恵方は南南東だ~!”なんて言われるんですけどね。厳密に言うと、南南東とか、北北西とかというのは、東西南北を12分割したものです。それに対し、恵方は上記で説明した通り、東西南北を24分割したもの!! 従って、さらに細かくなります。ですから、南南東というのは、真北を0度とした場合、150度の方位となり、恵方に置き換えると巳の方角という事になってしまうのです。従って、今年のような丙の年は、強いて言えば“南南南東”、あるいは“南微東”という事になるんですね。
これさえ分かっていればもう大丈夫!! 明日の夜は正しい恵方で美味しく恵方巻きを食べ、しっかりと福をゲットしちゃいましょう(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 23:48Comments(0)暦&歳時記

2013年02月01日

節分の豆まき

“鬼は外! 福は内!!”
今日、仕事でとある幼稚園の前を通ったら、子供たちのこんな元気な声が響き渡っていました。どうやら今年の節分は日曜日になるので、一足早く豆まきをやっているのでしょう(*^_^*)。
でも、本来鬼は夜中にやって来ると考えられますから、やはり節分の豆まきも夜半にやるのが理想なのです。ただ、余りにも遅い時間だと近所迷惑になりますから、そこはほどほどに、晩ご飯を食べ終わった頃から始めるといいのではないでしょうか!? という事で、今日は正しい節分の豆まきのやり方をご指導させていただきたいと思います。
その前に、何故節分に撒く豆は炒り豆なのかという事は、前回の
新健康通日記:節分と豆まき
の中でご説明しましたが、そもそも何故大豆を撒くのかという事はまだお話ししていなかったと思います。そこで、まずはそのご説明から入りましょう。
大豆は皆さんもよくご存じの通り、五穀の一つで、畑の肉などと言われるほど非常に栄養価の高い穀物! それは私たち人間の命を育む食物として、昔の日本ではとても大切な存在価値を持っていました。そして、それと同時に、非常に霊力の強い穀物だともされていたのです。節分の豆まきの原点は、宮中行事であった追儺にあるという事は上記でご説明した通りで、その追儺では、やはり強い霊力を持つ桃の枝を使って鬼を追い払っていたんでしたよね。でもって、その桃の枝に代わるものとして活用されるようになったのが大豆。ここまでは前回書いた通りです。
しかし、実際にはいきなり桃の枝から大豆に代わったのではなく、一時期はお米屋麦、それに栗や、果ては墨まで投げていろいろと試したらしいのですが、どうも今イチしっくり来ない(*_*)。そんな折、中国から伝わって来た「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」の考え方の中に“新年を迎えるにあたり、旧年中の汚れを豆に付けて捨てるべし!”というのがあったんですねぇ。そこで人々は、年の数だけの大豆を紙に包み、それで身体を拭いた後、こっそり路肩に捨てるという行為を取り始めたのです。
けれど、みんながみんなそれをやり始めると、こっそり捨てに行くというのが難しくなり、徐々に面倒にもなって来ました。で、ならばいっその事、みんなで身を清めた豆を撒けばいんでねえの!っという経緯になったようです。
また、当時は大豆が最も豊富に収穫出来た穀物でもあり、さらに、鬼退治のさいにポンポン当たって弾ける音も中々いい!というような理由から、節分には大豆を炒って撒くようになったとか…。
それでは、いよいよ正しい豆まきのやり方の時間です。室町時代の豆まき、即ち、初期の頃の豆まきは、後方に向かって投げたそうですが、今は違います。
まず、豆まきに使う炒り豆は、本番直前まで升に入れて神棚にお供えしておくのがベター! そして、最初にも書いた通り、夜になって鬼が実際に近付いて来る頃を見計らって撒き始めます。
豆を撒くのは年男か年女、あるいは厄年の人で、適任者がいない場合は、一家の主が代表して撒きます。けれど、最近はその一家の主であるお父さんが鬼の役なんていうご家庭も少なくありません。でも、まあそれで家庭円満に行くのであれば、正しい豆まきと考えていいのではないかと健康通は思いますね。とにかく家族みんなの笑い声が沢山聞こえるようにすれば、鬼は遠ざかり、福の神もやって来やすい事でしょう(*^_^*)。
ところで皆さんは、玄関や窓を開けっ放しにして、“鬼は外! 福は内!!”っとやっていませんか?それでは、鬼はいつまでたっても遠ざけられません。一度追い出した鬼は、二度と家の中に入って来られないよう、シャットアウトする必要性があるのです。
そこで、奥の部屋から順に、“鬼は外!”と外に向かって豆を撒いた後、急いで戸や窓を閉め、今度は“福は内!!”っと室内に豆を撒いて福の神を定着させます。これを一部屋ごとに繰り返し、最後に玄関先で締めくくります。
因みに、鬼をやっつける時は胸元から下手投げで“このやろう!”っと思い切り勢いよく投げ、服を呼ぶ時には、神様に捧げるようなつもりでそっと床に豆を撒くように心掛けるのがコツ! 
そして、最後は、自分の年の数プラス1粒の炒り豆を食べて、無病息災を祈ります。自分の年より1個多目に豆を食べるのは、来年の節分までにはその年齢になっているからで、誕生日が来て以降、福が不足するのはよろしくないからです。ならば、1つと言わず、2つ・3つ多目に食べて十分な福を授かろうかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、人間、余り欲張り過ぎるとろくな事はありません。何事も適度が大事という事で、やはりここは1年分の御利益だけを確実に望むようにしましょう(^_^)V)。
以上、これが節分の正しい豆まきのしかたなのだそうですよ。ただ、地域や家庭によって様々な風習があるのが日本の伝統行事というものです。ですから、まずはそれを大切にし、自分たちなりに楽しい豆まきが出来るようにアレンジされればいいのではないでしょうか。お父さんが鬼になるのも、上司や妻の顔を思い浮かべて豆を投げつけるのも大いにありだと健康通は思いますね(*^_^*)。
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Posted by 健康通 at 22:32Comments(0)暦&歳時記

2013年01月31日

中々うまく行かない立春

ついにお正月も本当に終りですが、今日の京都は、まるで桜が咲く頃のような暖かくて気持ちのいい一日でした。多くの家やマンションのベランダに一面の洗濯物と布団が干してあって、思わず、なんでこんな日に仕事してるんだろう!?って、ちょっと空しくなってしまった健康通なのであります(:_;)。
実際、昨日位から日中の最高気温が10度を超え始め、もしかして、このまま立春とともに早春の候に入るんじゃないかって錯覚しちゃいそうですよ\(・o・)/ワア!あい。まあ多分そんな事は有り得なくて、まだまだ何度となく寒の戻りを繰り返しながら、徐々に徐々に春めいて来るんでしょうけどね(*^_^*)。
でも、マジで、来週の月曜日はもう立春! 春のスタートです(☆。☆)。ところで、立春というと、当然この日からが春で、暖かくなるというイメージがありますよねぇ!? 勿論それはその通りで、実際、この日から春分の日までの間に初めて吹く東南東から西南西の風、即ち南よりの強い風を春一番と呼びます。そして、暦上は、立春から5月前半にやって来る立夏の前日の節分までが春という事にはなっていますよね(*^_^*)。それに、この新健康通日記ではすっかりおなじみになった暦便覧にも、“春の気立つを以って也!”と記されています。
けれど、厳密にいうと、立春の日までが大寒の寒さのピークであって、立春翌日からの寒さを「余寒」、あるいは残暑ならぬ「残寒」と言います。なので、来週以降に出すメールや手紙の挨拶文は、“残寒お見舞い申し上げます!”っとしないといけないんですねぇ(*^_^*)。
何を血迷ったか、喪中だからと言って、元旦から寒中見舞いを出して来たバカな友人がおりましたが、寒中見舞いは1月前半の寒の入りからこの立春までに出す挨拶! 勿論お正月三が日に出すものではありませんが、いくら余寒が厳しくても、立春以後に出すものでもありません。これを読んで下さっている方々なら、もうすでによ~くご存じの事とは思いますが、念のため、ご注意を(^_^)V)。
さてさて、そんな立春は、
新健康通日記:日本の二十四節気
の一つで、一番最初にやって来る正月節です。ですから、茶摘みで知られる八十八夜や台風の当たり日と言われる二百十日などは、全てこの立春から数えて何日目という数字なのです。また、桜の開花予想を出す方法の一つとして、立春の日からの最高気温の合計が540度になるように計算するというものがあります。即ち、立春以降、連日最高気温が15度を超える日が続けば、約1ヶ月半弱でその数値は達成出来る訳で、3月下旬頃には桜満開となる訳ですが、残念ながら、暦の上では春とは言え…という日がまだまだ続きますから、どうしてもそううまくは行かないんですよねぇヽ(^^)(^^)ノれやれ。
そううまくは行かないというと、立春イコール旧暦の元旦という節も、現実には中々うまく行かないようです。というのも、元旦イコール1月の1日という事で、新月の日に該当しなければならないんですよね。ところがところが、今でいう2月の新月と立春がピッタリ重なるのは約40年から50年に一度で、この日を「朔旦立春(さくたんりっしゅん)」と呼び、非常に縁起のいい人考えられています。しかし、前回の朔旦立春は1992年で21年前! ならばそろそろ…っと思いたいところではありますが、何せ約4~50年に一度の一大イベントですからね、まあ一生に2度遭遇できればいいところなんですよ。因みに、この次この朔旦立春がやって来るのは2038年という事で、ちょうど四半世紀後! 何とかそれまで元気に生き延びていたいものですよね(^_-)。
という事で、立春から二十四節気の次の候である雨水までの約2週間に新月の日があれば、それは暦状春が来てから年が明けた事になり、立春はまだ旧年中であるという事になります。これを「年内立春」と言い、逆に大寒から立春までの間に新月があれば、年が明けてから春が来るという事で、「新年立春」と言います。
しかし、実際には節切りと言って、月の満ち欠けに関係なく、節分を大晦日とし、立春を元旦とする考え方も定着していて、特に風水や四柱推命などのスピリチュアルの世界においては、立春イコール年初というのが暗黙のうちのルールとして定められているようですね。
まあ何はともあれ、早く本当に暖かくなってくれればいいと健康通なんぞは思うのですが、さてさて、皆さんはいかがでしょうか?
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Posted by 健康通 at 23:40Comments(0)暦&歳時記

2013年01月30日

節分と豆まき

相変わらず寒い日が続いていますが、先日も書いた通り、今度の日曜日は節分ですo(^-^)oワクワク。食いしん坊の健康通は、今から恵方巻きが楽しみってか!? 違うっていうの!!やっぱり節分のメインイベントは、今も昔も豆まきっきゃないでしょう\(・o・)/ワア!あい。
♪鬼は外、福は内、パラッパラッパラッパラッ豆の音…♪
日本には、こんな節分の歌っていうのがあるんですよ。ご存じですか? 正確には「豆まき」というタイトルの童謡で、この時期、スーパーなどに買い物に行くと、結構頻繁に耳にする事が出来ます。そして、決まってその近くには福豆の特設コーナーが設置されているのです(^0^;)。
でもって、そんな福豆を買うと、鬼のお面が付いて来たりするのですが、うちには健康通がいるから、鬼の面なんて要らないだろうと旦那が言うんですよ。失礼しちゃうでしょう、もう(`ヘ´) プンプン。
ところで、節分に撒く豆は炒った大豆であるという事はよく知られていますが、本来あの豆まきに使う炒り豆は、神社できちんとお祓いをしてもらったお豆さんじゃないといけないらしんですね。でも、スーパーやコンビニで売られている節分豆がきちんとお祓いされているとはどうしても思えません。我が家に中々福の神がやって来てくれないのは、そんな御利益のない福豆を撒いているからなのでしょうか(*_*)?
因みに、節分に豆を撒くのは、嘘か真かは知りませんが、“豆は魔目を魔滅で豆で魔目を魔滅!!”という半分駄洒落のような発想から始まったものらしく、大豆を炒ってから撒くのは、せっかく鬼を遠ざけた豆から再び災いの芽が出ないようにという願掛けのようなものだとか…。ほんまかいなぁ(・。・)。
とにもかくにも、昔から日本では、季節の変わり目には邪鬼が出ると考えられていたらしく、様々な悪霊払いのための行事が執り行われていたそうですよ。そして、節分の豆まきも、どうやらその一環のようですね(*^_^*)。以前少し書いた事がありますが、実は節分というのは年に4回もある行事なのです。読んで字のごとくで、節分は季節の節目!! 即ち、立春の前日だけでなく、立夏の前日も、立秋の前日も、立冬の前日も節分なんですねぇ(゜д゜)。
そんな中、何故この時季の節分だけが重視されるようになったのでしょうか? その理由としては、やはり寒い冬から暖かい春を迎える喜びというのもあるだろうと思われますが、それ以上に、旧暦を使っていた時代の日本では、節分と立春の関係というのは、年末年始の関係に当たったからだと言われています。つまりは、節分の夜に豆まきをして、旧年中の厄や災いを追い払うとともに、新しい年に向けて福の神を呼ぼうという訳ですね(^0_0^)ナルホド。
そんなこんなの節分の豆まきは、室町時代から始まったと考えられています。しかし、日本では平城京時代からもうすでに2月の節分は重視されていて、宮中では大切な年中行事の一つだったそうですよ。平安時代に入ってすぐに編集された日本書紀に続く歴史書「続日本紀」によると、706年の12月、今の2月に節分の儀式は始まったらしく、“是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺”と記されています。
しかし、当時はまだ豆を撒く習慣や鰯の頭を吊す習慣などは全くなく、大寒の前夜から節分の夜までの約2週間、土で作った牛と子供の人形を全ての門の前に飾るのが唯一の仕来りでした。
平安時代中期に作成された学術書「延喜式」によりますとですねぇ、子供の土偶はですね、高さ2尺で、方1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる事。また、土牛の方はと言うと、高さ2尺・長さ3尺で、長さ3尺5寸・広さ1尺5寸・厚さ2寸の板に立てる事となっています。
でもって、この「土牛童子」と呼ばれる人形は、設置する門の場所によって色が異なったらしく、陽明門および待賢門には青色、美福門および朱雀門には赤色、郁芳門・皇嘉門・殷富門および達智門には黄色、藻壁門および談天門には白色、安嘉門および偉鑒門には黒色と定められていたようです。これは、色によって春夏秋冬の意を表すものだったらしく、後に室町時代に書かれた学術書「公事根源」には、“青色は春の色、ひんかしにたつ赤色は夏の色、南にたつ白色は秋の色、西にたつ黒色は冬の色、北にたつ四方の門にまた黄色の土牛をたてくはふるは中央土の色なり、木火金水は土は離れぬ理有。”とありますから、やはり無病息災や金運到来と言った縁起担ぎの願掛けが非常に強かったものと想像されますね(*^_^*)。
その後宮中では、大晦日に該当する今の節分の日に、「追儺(ついな)」と呼ばれる鬼払いの儀式を行なうようになりました。主役は導士を務める「方相氏(ほうそうし)」という勇者! その方相氏は、頭には角があり、黄金の四つ目を持った真っ赤な顔面に革の黒装束という実は実は鬼よりも怖~い見た目で、手には強い霊力を誇るとされていた桃の弓と芦の屋、それに鋭い桃の枝を持っていたんですねぇ(◎-◎;)ドキッ!!。そして、その桃の弓で芦の矢と桃の枝を熬り、次々と地面を打ち射しては周囲に潜んでいる鬼を追い払っていったと言われています。
それが室町時代に入ると、物騒な弓矢や桃の枝から炒り豆に代わり、徐々に節分の追儺は、一般庶民も参加出来る神社仏閣でのイベントとなって行ったようです。
室町時代中期の京都は相国寺の僧侶、瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)が残した日記とも言える臥雲日件録(がうんじっけんろく)によると、1447年の節分祭には、“鬼外福内!”と唱えていたと記されています。
そして、この頃から、一般家庭では、節分の日の夕暮れになると、鰯の頭を柊の葉に刺したものを戸口に吊るし、厄除けを祈願したと見られています。
という事で、こんなにも昔昔から大切にされて来た節分の鬼払い。やはりこれからも大切に伝えて行く必要があるものと思われますが、そのメインイベントとも言える豆まきには、それなりのルールがあるってご存じですか? 正しい豆まきのやり方、健康通はしっかり習って来たので、次回ご伝授したいと思います。お楽しみに…(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 21:55Comments(0)暦&歳時記

2013年01月27日

2月4日の節分は何処へ?

“今日も寒いねぇ!!”、昨日も友達からこんなメールが来てました。確かに、京都競馬場では、もしかして雪が積もるかも知れないという事で、前日の発売を見合わせていた位の寒い週末(・。・)。お陰様で、まあなんとか積雪は免れたものの、昨日も今日も「スーパー寒いぞメール」が届く中、凍え死にそうになりながら通勤していた健康通なのであります{{ (>_<) }}。考えてみれば土日なのにね、なんで(:_;)。
それに、もう来週の今日は節分ですよ。という事は、その次の日は立春で、暦の上では春なのですが、果たして1週間でこの極寒から抜け出せるのでしょうか? まあ多分、いや、絶対無理じゃないかと思いますね( ̄0 ̄)。
ところで、今や節分と言えば毎年2月3日と決まっていますが、健康通の記憶が正しければ、節分は2月3日か2月4日と小学校で習ったはずなのです。実際、毎年“今年の節分は2月3日だから…。”とか、“今年は2月4日が節分だから…。”などという会話が当たり前のように交わされていたのを覚えているのですが、いつの間にか節分は2月3日に固定されてしまったのでしょうか?? 2月4日の節分は何処へ(°°)
まあね、最近は祝日もハッピーマンデーだとかと言って、コロコロ日付が変わる時代! 昨日も友達が、分かりにくくてありゃしないとぼやいておりましたが、立春というのは二十四節気の一つですから、例え総理大臣だって、そう易々と動かせるものではないでしょう。
新健康通日記:日本の二十四節気
だとすれば、その立春の前日と決まっている節分も、やはり人間の都合で日付を決められるものではないはずなのです。
そこで調べてみると、やはり昔は閏年の年は自動的に2月4日が節分になっていたらしく、健康通の記憶は正しかったのです\(・o・)/ワア!あい。まだボケてなくて良かった良かった(*^_^*)。
ただし、これは1898年から1984年までの話で、その後、現在に至っては、ずっと2月3日に固定されている形になっているらしく、まだ後10年位は、“節分は2月3日!”と覚えておいても大丈夫みたいですよ。
というのも、実は節分の日付というのは、数十年に一度のペースで徐々に前倒しになる仕組みになっているらしく、今のところ、2025年以降は、閏年の翌年が2月2日、それ以外の年は従来通り2月3日として2056年頃まで継続されるようです。
ようですという表現はアバウトじゃないかと思われそうですが、実際そうなんです。くどいようですが、節分は立春の前日に設定されるものでその立春は、太陽黄経が315度となる日です。そこで、未来の日付に関しては、天体の動きを軌道計算によって弾き出す「天体力学」で多分この日になるだろうとは分析出来るのですが、何せまだまだ広大な未知の世界の話ですからね、必ず我々人間が思っている通りに動いてくれるとは限っていない訳ですよ。事実、今は2025年からと予測されている閏年の翌年の節分2月2日説ですが、もしかしたらもうワンクルー早く、2021年から始まる可能性も低くはないんですねぇ(◎-◎;)ドキッ!!。
だからこそ、夜空や暦は面白い! これが健康通の空好きの理由の一つなのですが、とにもかくにも今は寒すぎて、その夜空をじっくり見上げる気にすらなりません。節分を過ぎ、立春を迎え、早く冬将軍が立ち去ってくれればとひたすら願うばかりです。
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Posted by 健康通 at 21:48Comments(0)暦&歳時記

2013年01月24日

障害者用の専用駐車スペースってどんなもの? こんなもの!

今週前半の天体イベント、月と木星のデート、皆さんはご覧になりましたか?
ここ京都市内では、昨夜は雲が多かったのでそうでもありませんでしたが、一昨日の夜は、すっごく綺麗に見えてましたよ\(・o・)/ワア!あい。特に黄色く光る木星が眩しかったです(☆。☆)。今年はお正月休みのしぶんぎ座流星群が、寒さに震えながら頑張っていたのにも関わらず、とうとう見られませんでしたから、今回のジュピターの眩しさにはうちの旦那も少々感動しておりました(*^_^*)。
さて、話は変わって、今日は皆さんにちょっと真面目に考えていただきたい事があります。それは、ショッピング施設や多くの公共施設の駐車場に設置されている障害者専用駐車スペースの存在です。大型のショッピングセンターや病院、福祉施設などは勿論、最近はスーパーマーケットやコンビニにもすっかり定着しましたね。車いすのマークが大きく書いてあるので、誰が見ても一目で分かります。
実はあの障害者用の駐車スペース、車いすマークが付いている位で、車いすの人を乗せている時しか利用してはいけないのではないかと思っていらっしゃる方も多いらしいんですね。確かに、本当に必要な人が本当に必要な時に利用出来るようにするためには、この謙虚さが非常に大事であるのは間違いないでしょう。必要のない人が使わないというのは鉄則です。
けれど、この過ぎた誤解のせいで、本当は必要なのに使っていない人や使って居る事に対して苦情を言われてしまうという例もあるのです。
実は昨日、健康通は、取材先の博物館の駐車場で、見ず知らずのおばちゃんに呼び止められ、散々ボヤキを聞かされました。そのおばちゃんの言い分はこうです。
“私は幸いにも普通車の運転は出来ますが、これこの通り左半身不随で、身体障害者としての認定を受けています。そのため、駐車除外証明書も交付されていて、普段は障害者用駐車スペースに車を止めています。それは、ドアを大きく開かなければ乗り降りしにくいからです。しかし、自分が運転していない場合、即ち、介助者がいる場合には、施設の入り口付近で降ろしてもらい、車は一般の駐車スペースに止めて来てもらうようにしています。けれど、最近は、同乗者が身障者で、駐車除外証明書も持って要るからという理由から、堂々と障害者専用の駐車スペースに車を止めている人が多いような気がします。それはおかしいのではないかというのが私個人の考え方なのですが、どう思われますか? 今日だって、ほら…!”
そう言われて、駐車場の方に目をやると、あらら、5台分ある障害者用の駐車スペースは満車状態!! 幸いにも一番通路側の枠が空いていたので、そのおばちゃんはしかたなく、そこに車を止めたらしいのですが、何せ一般の駐車スペースだったため、ドアを全開するにあたり、後ろから車や歩行者が来ないかと非常に神経を遣ったようです。で、よほど腹がたったのでしょう。たまたま同じ頃にすぐ後ろの枠に車を止めて降りて来たばかりの健康通たちをとっ捕まえて、一言物申されたというところですね。ご苦労様ですヽ(^^)(^^)ノれやれ。
確かに、腹いせではなく、普段からこのような心得で動いていらっしゃるとすれば、そのおばちゃんは、実に立派なお考えの持ち主の障害者だと思われますね(*^_^*)。しかし、障害者用の駐車スペースに関しては、少し固定観念が厳しすぎるのではないかと健康通は思いました。
実際のところ、あの障害者用の駐車スペース、ある事は分かっていても、どんな人が利用していいものなのかは、案外皆さん、分かっていらっしゃるようで分かっていらっしゃらないのかも知れませんね(*^_^*)。
勿論、基本的には今回のおばちゃんがおっしゃる通り、車を運転して来られた身体障害者の方が利用される専用スペースである事が理想ではあるのでしょう。けれど、身体障害者を同乗されている方にもその権利は十二分にあるのです。少なくとも、駐車除外証明書の交付を受けていらっしゃる方にはね。
あの障害者のための駐車除外証明書、実はどんな障害者でももらえるというものではなく、自分一人での車の乗り降りや移動が困難で、非常に危険を伴う行為だと思われる重度障害者のみを対象に発行されているものなんですね。ですから、車いすを利用されている方もそうですが、ある一定レベル以上の視覚障害者や平衡感覚を欠かれている方、あるいは、心臓疾患や知的障害をお持ちの方などにも交付されています。しかし、その反面、自分で周囲の安全を察知出来る能力があるであろう聴覚障害者や言語障害者、さらに、下肢不自由者の方などには、中々交付されないものなのです。
そうなると当然ですが、あの駐車除外証明書の交付を受けている障害者は、このおばちゃんのように必ずしもご自分で車の運転の出来る人ばかりとは限っていません。
まあね、でも、目が見えないとか、平衡感覚がないとか、心臓が弱いとかっていう位なら、わざわざ障害者専用の駐車スペースに止めなくても支障はないんじゃないのっと思われるかも知れないですよ。というか、恐らくそれがこのおばちゃんの言い分なのでしょう。
勿論、それはその通りではあるのですが、特に目のご不自由な方にとっては、ドアを開けた瞬間に後ろから車が入って来るとか、隣の車が動き出す事の危険性がどれほどのものか、お考えになった事はあるでしょうか? それこそ、ご自分がドアを全開するのにどれほど緊張されたかというのと全く同じ事なんですよね。しかも、視覚障害者の場合は、その危険性を自分で察知するのが非常に困難です。
障害者用の駐車スペースの最大の特徴は、やはり横巾が広く、ドアを全開にしても隣の車と接触する危険性がない事でしょう。これは肢体不自由者だけでなく、多くの障害者の安全を守るためには必要な事なのです。
また、同乗者が車いす利用者であれば、尚更本人の乗り降りと車いすの積み卸しには、それなりのスペースと時間が必要になります。自分が運転していない時は入り口付近で先に降ろしてもらうという方法、一見とても優等生に見えますが、このおばちゃんは車いすを必要とせず、且つ、目も平衡感覚も、ついでに内臓も至って丈夫だからこそ出来る事であって、車いすを降ろすのに専用の駐車スペースになっていない場所に長時間車を止めてゴソゴソする事や、視覚障害者や平衡感覚を欠いている人、あるいは、いつ何が起こるか分からない内臓疾患や知的障害の持ち主を一人で慣れない場所に放置する事の危険性を今一度考えていただかないといけませんね。
事実、あの車いすマークの付いた障害者専用駐車スペースというのは、法令上は、全ての障害者及び高齢者が円滑に移動出来るようにと設置されているものです。従って、使用してはならない障害者や高齢者も、使用していい障害者や高齢者も、一切定められていません。法律で定められているのは、巾350センチ以上で、なるべく施設の出入り口に近い場所に設置し、そこから施設までの連絡通路は車いすが単独でも利用出来る事という規格上の基準だけです。それで、あんなに横幅が広くて、出入り口に近くて、その周囲にはスロープや点字ブロックなどが完備されているんですね(^0_0^)ナルホド。
ただ、いくら法律で定められていないからと言って、全ての高齢者や障害者が使い始めると大変! とてもじゃないけど数が足りず、それこそあのおばちゃんのように、本当に必要な人が、本当に必要な時に使えないという事が日常茶飯事になってしまいます。そこで目安となるのが、各都道府県の警察署が交付する駐車除外証明書です。逆に言うと、あの証明書を持って要る人は、本人は勿論、周囲の危険と迷惑をを軽減するためにも、なるべく障害者専用の駐車スペースを利用するべきなのです。
とは言え、あのおばちゃんが、あんなにも激怒していたというのは、便利だからというだけの理由で、健常者が障害者を同乗していないのにも関わらず、車いすマークの駐車スペースを利用するという背景が頻繁にあるからに他ならないでしょう。また、家族や友人の駐車除外証明書を使用し、堂々と路上駐車をされている方も後を絶たないですよね。大変恥ずかしい話なのですが、健康通の知人のお嬢様もそうです。視覚障害者のお父様に発行されている駐車除外証明書を使用し、子供の送り迎えや買い物の際の路駐をバンバンしていらっしゃいます。しかし、その路駐している車こそが、自分の父親のような視覚障害者の移動を大きな危険にさらし、妨げているのだという事に気付いていらっしゃらない事がとても悲しいんですね。
ですから、障害者用の専用駐車スペース並びに駐車除外証明書というのはこういうものであり、障害者の安全を守るには必要不可欠なものなのだという事を今一度しっかりと健常者は勿論、障害者自身にも正しく理解していただきたいと願わずにはいられません。
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Posted by 健康通 at 23:08Comments(0)生活

2013年01月21日

月は衛星、太陽は星!?

やっぱ雨が降ると、寒い寒い寒い{{ (>_<) }}。そう思いながら、今日も何とか無事凍死しないうちに我が家に辿り着きました(*^_^*)。
と言っても、京都はまだ結構な方らしく、東京では先週降った大雪が未だに溶けずに残っているところがところどころに見られるとか…!? “もう大変ですよ~!!”っと、今日メールを下さった現地のクライアントさんが書いていらっしゃいましたよ(゜д゜)。
早く暖かくなってくんないかなぁ(^0^;)。でも、まだ寒中まっただ中だもんね(^^ゞ。そういう無理難題のような願望は持たず、お互い少しでもこの時期を楽しむ事に徹しましょうo(^-^)oワクワク。
という事で、今宵は超久しぶりの健康通のキラピカ大空情報です。今、頭上では、月と木製がラブラブデートを楽しんでいます。実はこの月と木製のデート、冬の風物の一つのようなもので、全て
新健康通日記:月と木星のデートだよ~!
に書いた通りです。木製はとっても大きな惑星で、肉眼でも十分見えますし、上記のページは昨年の情報ですが、今年は今週末にちょうど十五夜を迎える月とのデートですからね、より一層どちらも明るく光り輝く事でしょう。
この月と木星のデートは、昨日1月20日から、明後日1月23日までが見頃となっています(☆。☆)。勿論、今夜の近畿地方では、雨が降っているところが多いようですから、観測が困難かと思われます。それに、例え雨が降っていなくても、この寒さの中、いつ雨に打たれるか分からない状態での天体観測は控えた方が無難でしょう。
けれど、明日・明後日とは、なんとかそこそこ綺麗な夜空が広がりそうな予報です。また、昨日・今日以上に月が大きくなっているので、それも楽しみなところです。時はちょうど夕食を食べ終わった頃の20字過ぎ! ところは南の空のちょうど真上です。子供もパパも十分一緒に見上げられる時間帯でしょうから、風引かないように思い切り暖かくして、思い切り冬の夜空を楽しんで下さい(^_^)V)。
ところで、皆さんは木製が星座ではなく惑星であるという事はよ~くご存じかと思いますが、ではでは、惑星と星座とは、どこがどう違うのでしょうか?
そもそも、惑星も星座も、ついでに衛星もひっくるめて、全て日本語では星と分類されます。ただし、人工衛星は別ですよ。ましてや、どっかの国が時々打ち上げるだの、打ち上げただのと世界を騒がせている人工衛星というのは、200パーセント宇宙とは無関係ですから、誤解しないように気を付けましょう(^_^)V)。
そして、その中の惑星というのは、大きくて太陽の周りを回っている星だと、これまた誤解されている方が多いようなのですが、実は実は、惑星になるには、無理に巨大化しなくてもいいんです。
私たちが住む地球は、太陽の惑星ですから、どうしても親の欲目というやつなのでしょう。惑星あっての星座だと思われがちなのですが、実際には星座があっての惑星と言っても過言ではありません。
星座というのは、自ら核融合などのエネルギー源を持っていて、自分で光り輝ける天体の集合体です。でもって、その一つ一つの輝く天体を「恒星」と言います。夜空に輝くキラキラ星が正しくそれで、健康通の大好きな星空は、この恒星が溢れかえっている事になります。
そして、この恒星の周りを一定の周期で回っているのが、私たちの住む地球を含む惑星! 恒星のように、自力で光輝く事は出来ません。また、恒星はみんな東から西へと動いている訳ですが、惑星になると、基本的にはそれを守っているように見えて、時々ふとバックしたりするのです。そう、すぐに軌道上を迷う星なので、「惑星」と言うんですねぇ(^0_0^)ナルホド。因みに、この現象は、太陽という恒星の周りを公転するのに、その公転周期が定まらないからに他ならず、惑星はかなり落ち着きのない星だと言えるのです。
えっ、なんですって、健康通みたいですって(ーー゛)。まあいいや、話を先に進めましょう。
そしてそして、衛星というのは、この惑星の周りを一定の周期で回っている星!! ちょっと意外かも知れませんが、月は地球の周りを回る衛星で、太陽は地球がその周りを回る恒星なのであります(・。・)。
ただし、今では太陽系の周りを回る惑星、即ち、理科の時間に一生懸命覚えた“水・金・地・火・木・土・天・海・冥”というやつですね。これについては、
“惑星は太陽の周囲を公転し、その重力によって球形が維持できるほど大きく、その軌道から他の天体を一掃している事!”
という暗黙のうちの定義を2005年から国際天文学連合が定めています。これによって、小さすぎる事を理由に、冥王星が除外されてしまったのです(:_;)。
ではでは、何故自ら光線を放たない木星が肉眼でも見えるのでしょうか?それは、太陽の光を反射しているからに他なりません。この現象は、金星や土星が眩しく見える理由にもなっています。この事を踏まえ、明日の夜は黄色く光輝く惑星と衛星の月、そして周囲の恒星の素晴らしいコラボを是非お楽しみ下さい(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 23:26Comments(0)

2013年01月19日

あの世の法廷

皆さん、寒中お見舞い申し上げます!
明日は大寒、以前、
新健康通日記:大寒の水

新健康通日記:今年は寒冬!?
で、お話しした通り、早起きして地下水を汲みに行かないといけないんだけど、こうも寒いと、とてもじゃないけどそんな気にはなれません{{ (>_<) }}。それに第一、今や都会で地下水や井戸水を汲むのは中々出来ない事だし、川の水なんぞキッチンに持ち込んだら、たちまち泥臭くなってたまりません。という事で、今年も大寒の水はなしという事に決定(`_・)鞠。
それにしても、1月も早、終盤戦に突入しようとしています。ついこの間おせち料理を食べたばっかりなのに、この分だとまた、アッと言う間に桜が咲いて、猛暑に苦しめられ、紅葉が色付いて、気が付けばイルミネーションが輝いてる(・。・)、なんて事になっちゃうんでしょうかねぇ!?
こうも時の流れが速いと、そのうちあの世もこの世もなくなっちゃうんじゃないかとすら思っちゃいますね^.^;。もし、そうなったら大変、今から閻魔様にゴマ擦っとかなくっちゃ(-.-;)y-゜゜鹿。
という事で、今宵は以前、
新健康通日記:今日は地獄の窯の蓋も開く日!
に登場した閻魔様のご紹介です。
閻魔様はこの世で一番最初に生まれた人類らしく、出身地は古代インド、本名はヤマさんで、双子の妹ヤミーさんと一緒に暮らしていたそうです。そして、この世で一番最初にあの世へ旅立った人だとされています。つまりは、名誉あるベビー第1号であり、名誉ある死者第1号という訳ですね。しかし、誰も知らないあの世の世界は、正しく未知の世界!! そのため、非常に苦労して、ようやく天国に辿り着きました。そう、極楽とも呼ばれる天国は閻魔様が発見した国ですから、当然そこの王の座に座ったという訳です。
ところがところが、その閻魔様の足跡を上手に辿って、全ての日とが天国にやって来るようになってしまったのであります(*_*)。そこで、天国では、死者がやって来る度に法廷を開いて、前世から振り分け先を決める事になりました。
私たち人間はあの世へ旅立つと、三途の川渡りに挑戦しなければいけない訳ですが、そこである程度の悪人は、自動的に地獄へと落とされる仕組みにはなっているようです。というのも、本当にいい人は橋に案内され、悠々自適に渡らせてもらえるのですが、ちょっとよろしくない人は比較的流れの緩やかな浅瀬を歩いて、すご~くよろしくない人は、急流の深みを泳いで渡らされる事になるからです。当然、橋組ならほぼ100パーセント天国に行けますし、浅瀬組でも、大半の人は渡りきれると思われます。けれど、最近の悪人は根性と度胸、それに知恵もたっぷりと備わっています。だからこそ悪い事が出来る訳で、その要領の良さを巧みに活かし、急流からでも天国に辿り着いて来る人が多いんですねぇ(--)(__)。
そこで、その三途の川渡りの真っ最中に何人かの王が出て来て、あの手子の手で邪魔をしますって、こんな言い方をしたら、それこそ閻魔様のご機嫌を損ねて地獄に落とされそうですね。邪魔するんじゃなくて、試練を与えるんですよ(--)(__)。
通常、その役割を果たす王様は9名いて、その元締めが閻魔大王様という訳。そして、この王様の組織は「十王」と呼ばれ、あの世の裁判官だと見られているようです。先日ご紹介した1月16日の閻魔賽日には、お寺に貯蔵されているこの十王図や地獄相変図を拝むといいとされていて、これを「十王詣」と言います。因みに、十王は、
「秦広王(しんこうおう)」
「初江王(しょこうおう)」
「宋帝王(そうていおう)」
「五官王(ごかんおう)」
「変成王(へんじょうおう)」
「泰山王(たいざんおう)」
「平等王(びょうどうおう)」
「都市王(としおう)」
「五道転輪王(ごどうてんりんおう)」
に閻魔大王を加えた10名。
ほら、私たち人間は、三途の川を渡りきってあの世に辿り着くまでに35日から49日掛かると言われているでしょう。実はその間に、1週間事に、上記の判官がリストの上から順に一人ずつ出て来るらしく、本来は5人から7人の王で一人の死者を受け持つようです。
そして、最終的にはあの世の入り口にある裁判所に送り込まれ、そこで裁判長である閻魔大王のお裁きを受ける訳です。が、しかし、実際には、例え橋組であっても、あの世に入る前には必ず全員法廷に立たされる決まりになっています。ただし、閻魔様は何を基準に判断するかと言いますとですねぇ、実は実は、死者の来て来た白装束、それの重さで判断するんですねぇ(゜д゜)。
三途の川渡りの後、連れて行かれた先には、「衣領樹(いりょうじゅ)」と呼ばれる大木が立っていて、その木の下には、「奪衣婆(だつえば)という怖~い鬼が待ち構えています。この奪衣婆の仕事は、死者の着ている白装束を容赦なく剥ぎ取る事! そして、それを受け取った「懸衣翁(けんえおう)」という鬼が、その衣装を頭上の木の枝にぶら下げると、三途の川で濡れた衣は、その重みで垂れ下がるでしょう。すると、その裾が大木のどの辺りに来るかを見て、閻魔大王が、「地獄」・「餓鬼」・「畜生」・「修羅」・「人間」・「天上」の何処の世界へ送り込むかを判定する訳です。これが所謂「六道」のお裁きというやつなんですね。
一見、実に原始的な判決にも思えますが、実際には非常に理にかなった判決と言えるでしょう。深くて流れの速い場所を渡って来た被告人の白装束は、当然ずぶ濡れで大量の水を含んでいます。はっきり言って、めちゃめちゃ重たいです。それに対し、橋組の衣はというと、全然濡れてないから、めちゃめちゃ軽い訳です。まあ浅瀬を歩いて渡って来た人の衣も、精精下半身の部分しか濡れていないでしょうから、それほど重たくはありません。ようするに、白装束の重さ=前世の罪の重さという訳ですね。
という事で、我々も閻魔大王に地獄へ送り込まれないようにするためにも、精精心身を清め、橋を渡れるような人生を歩みたいものですね(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 23:32Comments(0)暦&歳時記

2013年01月17日

1月17日

今日も朝から寒かったですねぇ{{ (>_<) }}。まあね、冬まっただ中なんだから、当たり前だろうと言われればそれまでですが、あの日もとにかく寒かった!
今日は1月17日、阪神淡路大震災から18年目の夜です。一昨年の3月に東日本大震災が発生した事により、人々の記憶と関心は、すっかり東北の方に向いてしまいました。けれど、私たち関西人は、決して1995年の今日の日を忘れません。忘れてはいけないと思っていますし、例え忘れたくても忘れる事が出来ないのです。
時の流れとともに、被災地となった街は一見とても綺麗に立ち直りました。けれど、あの日の午前5時45分までそこにあった多くの命と人々の生活は、今も尚完全には取り戻せていません。それは、そのたった1分後に奪われた命と生活で、もう二度と返って来ないものが大半だからです。それを考えると、どんなに時間が進んでも、どんなに文明が進んでも、タイムマシーンが発明されない限り、完璧な復交は有り得ないのです。
しかし、人々はその悲しみと苦しみを糧に、それまでなかった新しい生活を築くべく、必死に頑張って来ました。昨年の今日、
新健康通日記:あの日から17年
に書いた通り、東日本大震災で素晴らしい救助や救援が出来たのも、あの阪神淡路大震災での多くの犠牲があったからだという事は、被災された東北や関東の人は勿論、日本中の人たちに知っておいてもらいたいと願わずにはいられません。そして、1月17日という日を決して忘れないで欲しいのです。そのためにも、これからも健康通は、毎年この日には同じ事を書き続けたいと思っています。
今宵の新健康通日記は、珍しく短文ですが、それにはちゃんと理由があります。一年前に読んで下さった方はもう一度、そうでない方は是非、上記リンクをクリックして、じっくりご一読いただきたいのです、よろしくお願い申し上げます。
ブログ村 地域生活(街) 関西ブログ  


Posted by 健康通 at 21:33Comments(0)時事

2013年01月16日

今日は地獄の窯の蓋も開く日!

長かったお正月休みも終り、成人の日のハッピーマンデーも過ぎた今、気が付けばもう新年も空けて16日目、さあ、いよいよ仕事に精を出す時だ~☆α==(・・#)パーンチてか(◎-◎;)ドキッ!!。でも、今日は1月16日、地獄の窯の蓋も開く日ですよ。それなのに、何、この忙しさは…!? 正に地獄のような日々でした(^0^;)。
すると、“地獄の蓋が開く日だから仕事が休みって、なんだかおかしくないですか? 普通は、開く日=営業日で、閉まる日=休業日じゃないんですか??”っと、午後から打ち合わせに加わっていた営業部の男の子が不思議そうに言っていました。確かに、言われて見ればそうかも知れません。真逆にも思えなくはないですよね。けれど、今日は地獄の窯の蓋が開く日だから仕事を休む日! これでいいのです(*^_^*)。
この「地獄の窯も開く日」というのは、地獄で日々悪人の釜ゆで作業に勤しんでいる鬼や亡者の休日で、ようするに彼らが人間煮込みをしないから、その窯の蓋が開けっ放しになっている日という意味です。日本では、お正月が空けた1月16日とお盆の8月16日が地獄の窯も開く日とされていて、正式には、「閻魔賽日」と言います。
て事は、地獄は年休2日制なの!? だとしたら、週休2日制がすっかり定着した現代社会から見ると、やっぱり地獄は地獄な訳ですね(@_@)。
実際、昔のお嫁さんや奉公人、それに使用人というのは、殆ど年中無休状態で、盆暮れ関係なく姑や旦那様にコキ遣われていました。そこで、新年が一段落した1月16日と、ご先祖様が帰るお盆の16日位は休ませてやって、実家に帰らせてやってもいいのではないかという暗黙のうちのルールがいつしか出来上がって言ったのです。所謂「藪入り」と呼ばれる日で、その口実として、“今日は地獄の窯の蓋も開く日なんだから…!”と言われていたんですねぇ。
ですから、よくこの日は全ての日とが仕事を休む日なんだと思っておられる方がいらっしゃいますが、それは大きな誤解で、この日にのんびりしていいのは、日ごろ無休状態で働いている人たちだけなのです。ただ、商家にとって使用人がいなくなる事は、たちまち営業が出来ない事になってしまい、結果、“本日休業!!”となってしまっていたんでしょうね、きっと…ヽ(^^)(^^)ノれやれ。
けれど、最近は、サービス業でも最低限4週6休制が導入されるようになり、逆に店舗は年中無休でも、従業員は交代制でガンガン休めるようになりました。おまけに、嫁ともなると、年がら年中実家に帰りっぱなしなんていう例も少なくありませんからね。ある意味、この地獄の窯の蓋も開く日というのは必要なくなってしまったのかも知れません(>。<)。
当然、人使いの荒いうちの会社だって、流石に年に2日位しか休めないという事はなく、特に今年なんぞはお正月休みが長かったですからね、“おまえたちに地獄の窯も開く日なんて必要ない”というのが社長の言い分。健康通なんぞは、具の根も出ないうちに、とっとと焔魔堂へと追い出されてしまったのであります(:_;)。
言っておきますが、別に何か悪い事をしたから閻魔様に会いに活かされた訳じゃないですよ。1月16日に限らず、毎月16日は「閻魔の日」とさだめられているのです。そう、毎月21日が弘法大師の日で、25日が天神さんの日であるのと同じで縁日の出るお寺もあります。特に鎌倉は圓應寺の閻魔縁日は有名で、毎年1月の初閻魔と、8月の閻魔賽日にずらりと多種多様の露店が並びます。
また、例え縁日は出なくても、1月16日と8月16日は焔魔堂に参詣する日とされていて、京都では千本焔魔堂や六波羅蜜寺の焔魔堂に多くの人々がお参りします。健康通は、その取材に行っていたのであります。
ところで、そんな閻魔大王は、地獄の鬼のように言われていて、よく子供の頃、“嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ!”と言われた記憶のある方も多い事でしょう。でも、実際に閻魔様が住んでいるのは地獄ではなく天国!! しかも、その天国を見付け出したのは、何を隠そう閻魔様本人だったのであります(・。・)。
という事で、聞いてみると思いの他面白い閻魔様のお話。ただ、話せば少々長くなるので、次回ゆっくりご紹介する事にしましょう! お楽しみに…(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 23:37Comments(0)暦&歳時記

2013年01月15日

松飾りと注連飾り

今日は1月15日、小正月です。小正月については、↓
新健康通日記:お正月はいつまで?
新健康通日記:お正月の終わり
をご参照いただくとして、とにかく関西でもお正月が終わるという事なのであります(/_;)。そこで我が家でも、松飾りや注連飾りと言ったお正月飾りを片付け、桃の節句に向けて雛人形を出しました\(・o・)/ワア!あい。とは言っても、衣装の違うスヌーピーが出て来ただけだという話もあるのですが…(^0^;)。
それにしても、毎年我が家では、一番働かないのがこのお正月飾りスヌーピーだと言われています。というのも、雛人形スヌーピーは1月16日から3月の3日までですから、約1ヶ月半、五月人形スヌーピーに至っては、3月4日から5月5日までとまるまる2ヶ月間顔を出している訳ですよ。それに対し、お正月飾りスヌーピーは戸言うとですねぇ、クリスマスが終わった12月26日頃から、たった2週間しか飾られないんですよね。確かに、極端に労働機関の短い季節飾りと言えるでしょう(*_*)。
しかし、本来は松飾りや注連飾りと言ったお正月飾りだって、12月13日の事始めから、1月7日の七日正月か、関西では1月15日の小正月まで、1ヶ月位は飾られるべきものなのです。ところがところが、いつしか日本にはクリスマスというよそ者が侵入し、年の瀬の風物となってしまいました。12月の13日と言うと、街中のクリスマスイルミネーションが最も眩しく光り輝いている時期(☆。☆)。そこに門松を置いたって、邪魔者扱いされても、歓迎される事はないでしょう(:_;)。そこで、どこの施設や商店でも、クリスマスツリーを片付けてから松飾りを出すというパターンが定着し、結果、12月26日以降に飾られる事になってしまった訳です(=^_^;=)。
因みに、12月29日は二重苦、あるいはその年最後の9の付く日という事で苦待つの日とされ、この日に飾る松飾りは「苦松」としてNG! また、大晦日に出したのでは、神様を一日しかお奉り出来ないという事から「一日飾り」、あるいは「一夜飾り」となって、やはりNGとされています。という事で、まあ12月26日から28日までに松飾りと注連飾りを出しておくのが無難と言えるでしょうね(--)(__)。
抑もお正月の松飾りというのは、松は祀る樹木とされ、松の木の梢には神が宿ると考えられたところから、年神様を迎え入れるための依り代として門前や玄関先に置かれたもので、その代表格が立派な門松だったという訳です。
実はこのお正月に松を飾る習慣は、中国から来たものらしく、古来の中国では、松は不老長寿を物語る生命力と子孫繁栄、そして商売繁盛などの御利益を持つ木とされていたようです。どうやらその考え方が日本でも受け入れられ、室町時代にはもうすでにお正月に玄関の前に門松を飾る習慣というのがあったそうですよ(゜д゜)。
しかし、日本でも新年に向けて松を自宅に持ち帰る習慣そのものは平安時代からあったと見られていて、注連飾りに至っては、はるか古の時代から存在していたものと考えられています。
というのも、太陽の神様と言われる天照大神(アマテラスオオミカミ)が天岩戸にこもってしまい、予はしばし一日中夜の日が続いていた訳ですが、その天照大神がようやく洞窟から出、この予に太陽が戻って来た際、二度と神が岩籠もりをしてお日様が消えないようにと、天児屋命(アマノコヤネノミコト)と一緒に祭祀を行なった天大玉命(アマノオオダマノミコト)が、「尻久米縄」で戸を塞いだのが注連縄の起源とされているからです。また、当時は非常に貴重な建築資材であったと思われる葛縄を弘計天皇(オケノスメラミコト)が重要視していたらしく、日本書紀には“取結縄葛者”と記されていますね。
こうした事から、松飾りはさておき、注連飾りについては万葉の時代からあったものと考えられ、その後、神道の根幹の一つを成す稲作信仰において、その年に刈り取って干した稲藁、あるいは麻を材料として作った注連縄を、“神留る(かんづまる)”と言い、神が鎮座する神奈備(かんなび)として信仰していた山や森、そして、その森や木々の神籬(ひもろぎ)や山や岩の磐座(いわくら)をも神体として祀り上げ、その証として飾ったとされています。
つまり、お正月の松飾りや注連飾りは、一年間我が家を守ってくれる神様を呼び寄せるためのもので、商売繁盛を祈願して店頭に飾られる門松や交通安全を祈願して車に付ける注連飾りも、やはり同様の意味を持って要るものと考えていいでしょう。ですから、
新健康通日記:松の内が明ける
でお話ししたように、松飾りや注連飾りを片付けるというのは、神様をお見送りするという事になる訳で、実は思いの他大事なんです。やっぱり神様をゴミ袋に入れて収拾に出すというのは非常に失礼極まりない事! そこで、近くの神社に持ち込み、ご祈祷してもらった後で燃やしてもらうのが正しい片付け方になるんですね。そして、この行事を「どんど焼き」と言い、地域を挙げて行なうところも沢山あります。また、どんど焼きはなくても、お盆のお供え物と同じく、特別の収集日や収集場所を設けている自治体もあるので、出来る限り一般ゴミに出すのだけは避けた方がいいでしょう。
けれど、どうしても一般ゴミに出すしかないという生活環境にある方は、きちんと塩で清めた後、生ゴミなどに触れないよう、一つ一つ丁寧にビニール袋で包み、低調に拝んでから収拾に送り出すようにされると多生は神様の心も和やかになるのではないかと思われますね(*^_^*)。
でも、我が家のように、毎年押し入れにしまっている場合だと、一年中神様が押し入れの中にいて下さる事になるのでしょうか? だとしたら、それは実に結構な事のような気もするけど…、毎年新しい神様をお迎え出来ていないのかも知れないし、もし毎年新しい神様が来て下さっているとすれば、あらら大変、今や押し入れの中は神様だらけじゃないですか(◎-◎;)ドキッ!!。ケンカにならないといいんだけど…^.^;。
と、あれこれ考えると、眠れなくなりそうなので、眠いうちに寝る事にしましょう(-_-)zzz。
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2013年01月14日

成人式の定義

いやはや、今日はとんでもない成人の日になったものですねぇ(*_*)。それでも、まだ京都は午後から雨も上がり、晴れ着姿の若い女性が街を練り歩ける空模様でした。
ところがところが、東京は雪で大変! 国立競技場で予定されていた高校サッカーの決勝戦は中止になるは、中山競馬場は5レース以降、来週の月曜日に順延になるはで、あっちこっちで大きな影響が出ていたようです(^0^;)。
当然、晴れ着姿の新成人女性たちが、草履で歩くには相応しくない路面。よく見ると、いや、よく見なくても、あらら足下がスニーカー(゜д゜)。なんていう女の子も多かったようですね(*^_^*)。
でも、それもまた、一生に一度の晴れの日にはいい思い出ではないだろうかと思いますね。何を隠そう、健康通の成人式も、歴史に残る大雨だったのであります(:_;)。だから、今でもその話をすると、知っている人は知っているという感じで、すぐに年齢が分かっちゃう事があるんですよね(◎-◎;)ドキッ!!。ただ、一つのエピソードとして語れるので、案外悪くはないものですよ。
それに、今日大人の仲間入りをされた皆さんは、これからの激動の日本を背負って行く任務を背負った人たちです。この悪天候は、正しく歓迎のシャワー!! 今日のような嵐を物ともせず、頑張って行っていただきたいなぁっと願わずにはいられませんね(*^_^*)。
ところで、新成人には一つの定義があるって、ご存じでしたか? まあ新成人の定義と言うより、その年の成人式の対象者の定義と行った方が性格なんですけどね。単純に考えると、同級生=成人式の対象! 即ち、前年の4月生まれの人から、その年の3月生まれの人までが含まれるのだと思われがちでしょう!? でも、実は違っていて、我が国の成人式というのは、前年の成人の日の翌日から、その年の成人の日までに20歳になった人を祝うものと定められているのです。
ただ、成人の日が毎年1月15日に定められていた時は良かったですよ。気が付けばハッピーマンデー制度とやらで、毎年成人の日が変わるようになりました。そうなると、毎年その対象者も変わる事になり、ややっこしくてしかたがない(*_*)。しかも、前年の成人の日はまだ19歳だったのに、今年の成人の日はもう21歳になっていて、成人式に出られな~い(/_;)。なんていう人も出て来ちゃうんですよね。それに、早生まれの人は、殆ど親しい友人がいない中で式典に参加しなければならないという問題点もありました。そこで、今は大半の自治体が、学校と同じように、前年の4月2日から、その年の4月1日までに誕生日を迎えた日と、あるいは迎える人を対象にしているようです。
されど、我が国初の成人式は、冬ではなく、秋に行なわれたそうです。時は終戦間もない1946年11月22日、所は今の埼玉県蕨市でした。当時はまだ埼玉県北足立郡蕨町だった訳ですが、敗せんの中、様々な市連に耐えながら生きる事を余儀なくされていた若者たち! けれど、今後の日本の復交を担うのは、その若い力に他なりません。そこで、そんな青年たちに、大きな希望と自覚を持ってもらおうと、地元の青年団長が「成年祭」を開き、祝福と激励を述べたのが今の成人式の始まりだと言われています。とは言え、蕨第一国民学校、今の蕨北小学校ですね、その校庭にテントを張っただけの会場で、当然、今の洋に晴れ着で出席するものなど、一人もいなかったそうです。
それでも、蕨市ではこれを一つの誇りとし、今でも成人式ではなく、成年式として執り行っていますし、蕨城址公園には、“成年式発祥の地”の記念碑が建てられているそうです。
その後、この蕨市の活動に賛同した国は、1949年から1月15日を成人の日と定め、この日に全国的に新成人の門出を祝う事としました。因みに、成人式の主旨は、“大人になった事を自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い、はげます!”だそうですが、当時は確かに半数以上がもうすでに社会人として世の中に出ている勤労青年でしたからね、それがうまく伝わったのでしょうけれど、今は学生やフリーの人などが非常に多く、完全なる若者のお祭になっている部分も否めないようです。
正しく青年祭ならぬ成人祭! 毎年新成人たちの大荒れの様子がテレビや新聞に取り上げられている事を考えると、大荒れの天気が最大の話題となった今年の成人式は、実際にはそこそこ穏やかに終えられた自治体が多かったのではないかと思いますね。
何はともあれ、新成人の皆さん、
おめでとうございます(・・||||rパンパンッ。
みんな、まだ本当に若い! 若いという事は素晴らしい事です。その素晴らしい時を無駄にしないよう、いい敬老を目指して歩んで行っていただきたいものですね(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 23:56Comments(0)暦&歳時記

2013年01月07日

松の内が明ける

いかん、いかん、いかん、休みが長すぎるのも考え物で、逆にみんな疲れてしまっているみたい(*_*)。考えてみれば、今朝は実に7日間ぶりの出勤で、こんなに長い間このオフィスに足を踏み入れなかった事なんて、入社以来なかったんじゃないかと思いましたね。そこで、多分中々エンジンが掛からないだろうと予測して、いつもよりも早めに出社したのですが、それでもやっぱり午前中は不完全燃焼でしたm(__)m。
という事で、我が社は今日が2013年の御用始めです。言っておきますが、仕事始めじゃなくて、あくまでも御用始めですよ。以前↓
新健康通日記:仕事始めと御用始め
で、ご説明した通り、仕事始めと御用始めは全く違うものですからね、そこんとこはっきりしとかなくっちゃ(^_^)V)。
さてさて、そんなこんなの仕事始め、じゃなかった、御用始めの今日、午後から取材に出た健康通は、所々で松飾りを片付けている光景を見掛けました。おえおえ、ちょっと待てっつうの! 確かに今日1月7日で松が明けるのは分かりますが、せめて夕方までは飾っておいてもいいんでねえのってね(*^_^*)。それに、昨日の
新健康通日記:お正月の終わり

新健康通日記:お正月はいつまで?
でもお話ししたように、関東では1月7日の七日正月をもって松が明けるとされていますが、関西では1月15日の小正月までが松の内であるという考え方もまだまだ往々にして残っています。つまりは、何も慌てて門松や注連飾りを片付けなくてもいいという事です。
それにそれにもう一つ、気になるのが片付けたお正月飾りの処分方法です。最近は松飾りやしめ縄の習慣にもエコが潜入して来て、一般ゴミとしてポイッと捨てられる絵札のような門松やしめ縄も多く見られます。また、この絵札なら、集合住宅でも使えますから、現代社会に非常にマッチしたお正月飾りである事は間違いないでしょう。
さらに、やはりそれなりの存在感をアピールしたいとおっしゃるお宅用としては、毎年使い回しが可能なプラスチック混じりの松飾りや注連飾りも多数市販されていますね。何を隠そう、健康通の家のお正月飾りは10年選手!! 紋付き袴姿のスヌーピーの人形が付けられたお飾りと注連飾りなので、捨てるに捨てられないのであります(>。<)。第一に、元々毎年飾れるようになっているものですからね。これはこれでいいのかなぁっと思って使っています。
でも、本当はこれは超罰当たりの行為(◎-◎;)ドキッ!!。というのも、そもそもお正月に飾る松飾りや注連飾りは、その年の暮れに調達して来た松や藁を使って作り、お正月が終わると、近くの神社で燃やしてもらわなければならないからです。
その理由は、松飾りの本当の意味などが分かれば、すぐに納得していただけるでしょうし、早速それをご紹介したいところなのですが、何せ今日は久々の通勤と仕事で、思い切り疲れてしまいました(((。o゜))))((((゜o。)))。もう眠くて眠くてたまらないのです( ^.^)( -.-)( _ _)。なので、お正月飾りのエトセトラは、また後日書きたいと思います。まあなんとか関西で言う松の内の間にはアップしたいと思っていますので、お楽しみに…(*^_^*)。
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Posted by 健康通 at 22:55Comments(0)暦&歳時記

2013年01月06日

お正月の終わり

今年は長いぞ~\(・o・)/ワア!あい。と思っていたお正月休みも、蓋を開けてみれば、アッと言う間に終り! 明日からまた仕事です(:_;)。
そんな明日は七日正月、朝ご飯は暖か~い七草がゆに決まりですね(*^_^*)。
新健康通日記:明日は七草がゆの日
ところで、もうお正月もおわりなんだから…っと言われるものの、実際にはまだまだお正月だってご存じですか?
そもそも「正月」というのは、旧暦1月の別名で、現在では1月の事を指します。つまり、1月1日から1月31日までが本当のお正月なのです。
まあ流石に1月一杯がお正月だというのは、ちょっと長すぎという感じもしないでもありませんが、実際、今でも地域によっては1月20日までをお正月とし、この日を“二十日正月”として、新春の祝い納めとしているところも僅かながら残っていると言います。けれど、昔は全国的に二十日正月は非常に重要視されていて、誰もが仕事を休んで自宅にこもる物忌みの日だったそうですよ(゜д゜)。さらに西日本では、お正月に食べた鰤の骨や頭と野菜や大豆で作った粕汁を食べて新春の行事を締めくくるところから“骨正月”、あるいは“頭正月”などとも称されていたそうです。また、石川県では“乞食正月”、岐阜県では“フセ正月”、そして群馬県では“棚探し”といい、お正月用に作られたごちそうやお餅などを全て食べ尽くす日とされていたようですが、室内の暖房が行き届いている昨今では、まあ1月の終盤までお正月料理が残っている事はまずなく、わざわざこの日のために新たにごちそうを作り、この風習を守り続けておられるお宅もあるようですね。ああ、大変だ~(^0^;)。
しかし、やはり全国的には、もう少し早くお正月を終りにするのが一般的のようで、関西人の健康通は、お正月と言えば小正月までだと子供の頃に祖父に教えられた記憶があります。
この小正月というのは“正月の望の日”、つまり、お正月の満月の日で、旧暦の1月15日に該当します。新暦となった今でも、一応1月15日を小正月とし、まゆだまを作って養蚕の予祝行事を行なったり、農具のミニチュアを作って農具の年越し祝いを開催したりと、全国各地でその年の豊作を祈って様々な模擬実演をする呪術行事が催されています。即ち、農耕儀礼の一つとして小正月を重要視する地域もあるという事です。
ではでは、一体全体お正月はいつまでなのかと言いますとですねぇ、その答えはこちら↓
新健康通日記:お正月はいつまで?
そう、去年のお正月にも健康通は同じ事で悩んでいたのでありますヽ(^^)(^^)ノれやれ。まあそれだけ、出来る限りお屠蘇気分でのんびりしたいという事なんだろうけど、時の流れは止まってくれませんからね、さあ、明日からはしっかりと気持ちを切り替えて、頑張らなくっちゃ(^_^)V)
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Posted by 健康通 at 22:02Comments(0)暦&歳時記

2013年01月04日

おとそ気分に乾杯!

毎年の事なのですが、必死にバタバタして新年を迎えたのはいいけれど、思ったほどのんびり出来ないうちにお正月三が日が過ぎ、仕事始めの日がやって来てしまうような気がしてたまりません(/_;)。
今年も早1月4日! 今年は有り難い事に、暦の関係でいつになく長い年末年始休暇ではありますが、そろそろおとそ気分を抜かねば~☆α==(・・#)パーンチ。このままでは仕事モードに入れないんじゃないかと、ちょっと心配している健康通なのであります(*_*)。
ところで、おとそ気分などと言われるように、おとそはお正月に飲むお酒。今年も皆さん、存分に楽しまれた事でしょう。うちの旦那などは、一升瓶を抱きかかえて箱根駅伝を見るのが日本の正月だと実に勝手な事を言って、テレビの前に座り込んでおりましたヽ(^^)(^^)ノれやれ。
が、しか~し、実は正式なおとそのお酒というのは、清酒ではなく、所謂薬草酒なんですよね(゜ω゜)。そして、昔から、“一人これを呑めば一家病無く、一家これを呑めば一里病無し!”と言われているものです。
抑もおとそは漢字で書くと「屠蘇」となり、蘇という悪鬼を屠る。つまり、ズタズタに切り裂いて皆殺しにするという意味を持っているんですね。また、それと同時に、鬼に勝って、魂を蘇生させるという意味も持ち合わせているようです。
でもって、山椒や陳皮(ちんぴ)、桔梗(ききょう)、それに肉桂(にっけい)や防風(ぼうふう)と言った薬草類をミックスして作られた「屠蘇散」を砂糖やみりんと一緒に漬け込んだお酒が本来のおとそ!!先日
新健康通日記:お正月にはお雑煮!
でお話ししたお雑煮と同様、平安時代に中国から伝わって来たとされています。どうやら、三国時代に活躍したドクター、華佗(カ・ダ)の処方によるものらしく、中国では唐の時代から飲まれていたそうですよ。
日本では、このお屠蘇とは別に、細かく刻んだ白朮(びゃくじゅつ)と桔梗、それに細辛(さいしん)を等分に調合した「白散(びゃくさん)」と呼ばれる熱燗と、麻黄(まおう)・山椒・白朮・桔梗・細辛・乾薑(かんきょう)・防風・肉桂を調合した「度嶂散(どしょうさん)」と呼ばれる薬草酒がありました。そして、宮中では御薬を供ず!っと称し、一献目にお屠蘇を、二献目に白散を、三献目に度嶂散を一献ずつ飲むという風習があったのだそうです。
けれど、後の室町幕府では、白散のみを、そのまた後の江戸幕府ではお屠蘇のみをお正月に飲んでいたらしく、元々貴族の間では、お屠蘇か白散のどちらか一方を飲めばいいという慣わしがあったため、江戸時代の習慣が現在にも繋がっているようですね。
因みに、中国伝来の元祖屠蘇三は、赤朮(あかおけら)・肉桂・防風・抜契(ばっかつ)・大黄・鳥兜・赤小豆をミックスして作ったものとか…(○`ε´○)。ただ、皆さんもよくご存じの通り、鳥兜は毒草でもあって、しっかりと炒らないと長寿どころか、短命を招いてしまいますし、大黄は解毒剤としての効果効能が強すぎると言われています。そのため、こうした一つ間違えると劇薬にもなりかねない生薬を避け、山椒・細辛(さいしん)・防風・肉桂・乾薑・白朮・桔梗をミックスした屠蘇散が日本では一般的に市販されているようです。
そう、今でも年の瀬に漢方薬局や大きなドラッグストアなどに行くと、紅茶のようにティーバッグに入った屠蘇散が売られていて、それを砂糖やみりんと一緒に一晩位日本酒に漬け込む事で、美味しいかどうかは定かではありませんが、本物のおとそを飲む事が出来るんですねぇ(・。・)。さらに、人気の漢方薬局では、年末の粗品として屠蘇散を配る事もあるらしく、これは、やはり江戸時代に、お医者さんたちが暮れの挨拶代わりとして、自分たちの患者さんに屠蘇散を配っていたのが今も続いていると考えてもいいようです。
ここで一つ気を付けないといけないのは、普通宴席での杯というのは、目上のものが先に口を付けるのが当たり前ですが、お屠蘇に限っては真逆!! 毒味という事で、下っ端のものから順に飲んで行きます(゜д゜)。
とは言え、お屠蘇=お正月の祝い酒となった現代社会においては、こんなルールを知らない人の方が圧倒的多数と思われますからね、やはり号に行けば郷に従えで、下っ端のものは一歩遅れて遠慮気味に飲み始める方が無難と言えるでしょう。
何はともあれ、お正月休みも後2日(:_;)。マジでそろそろお屠蘇気分を抜かないとね(^0^;)。
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Posted by 健康通 at 22:54Comments(0)暦&歳時記

2013年01月03日

初夢見た?

今年は本当に寒いお正月でしたが、そんな気象条件が悲劇のドラマを打ち出した今年の箱根駅伝。往路から大きなアクシデントが複数あった中、箱根の山を征したのは、日本体育大学でした(・・||||rパンパンッ。
それも、昨年の東洋大学に続く完全優勝! 半ば圧勝という感じもしなくはありませんでしたが、そこにはやはり昨年真逆のシード落ちを強いられ、今年は予選会から必死に頑張って来た汗と涙の結晶が降り注いでいたからに他ならないでしょう。その努力の結晶が、箱根の冷たい風を押し退けてくれたんでしょうね、きっと…(*^_^*)。
だとしたら、後一歩のところでシードを逃した山梨学院をはじめ、連覇を逃した東洋大学、そして、復路で大きく順位を下げてしまった早稲田や明治大学、それに法政大学にも、来年はきっとその追い風が吹いてくれるものと思われます。ただ、その努力の結晶の風は、決して自然が作ってくれるものではありません。自分たちで一年という長い月日を掛けて作り上げるもの。まずは努力の結晶を作る努力を怠らず、地道に2013年の箱根路を目指して欲しいと願うばかりでした。
とは言え、何はともあれ、選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。今年は2分という時間の長さと重さを思い切り感じた役200キロの道のりでした。沢山の素晴らしいドラマを有り難う!! また来年、皆さんの雄志を楽しみにしています(*^_^*)。
ところで、話は変わって、昨夜健康通はちょっとユニークな夢を見ました。それは大ファンの十津川警部との共演です\(・o・)/ワア!あい。実は健康通、人生の折り返し地点を過ぎた今、何か一つの大きなライフテーマみたいなものを持とうと思ってね。昨年の春位からかなぁ、日本を代表する推理作家、西村京太郎氏の十津川警部シリーズを一から順に読んで行く事に決めたんです。実に300冊を超える数ですから、いつ達成出来るかは全く分かりませんが、目標としては中々グッドな素材でしょう(*^_^*)。
それでなんでしょうね、多分、あんなユニークな夢を見たのは…。ただ、健康通の役はと言うと、正直よくは分からないのですが、どうやらかなりセコい銀行強盗の一味だったらしく、最後はリーダー的存在のお兄さんが逮捕されたという連絡を聞いたところで目が覚めました(゜ω゜)。
でもって、健康通の場合は、これが初夢だった訳ですが、昨日の午後メールをくれた友達は、どこかの看護学校の女子寮にこっそり潜り込んで、バスルームのドアを開けたところ、中から巨大なスネークちゃんが出て来て、慌てて逃げ出す夢を見たそうです。
“いかにも巳年に相応しい、いい初夢だったじゃない!”
という健康通の返信に対して、冗談じゃないと起こってました。冷や汗もので目を冷まし、隣で寝ている奥さんの安らかな寝顔を見た瞬間、何故かさらに汗の量が増えたそうです(◎-◎;)ドキッ!!。本人曰く、去年の暮れに、小学生の息子から蛇を飼いたいと言われて、大げんかしたらしいんですよね。だから、それが引き金になって、こんなとんでもない夢を見たのではないかという分析でした。
でも、マジで、昔から蛇は縁起のいい生き物だとされ、初夢に登場すると幸運だとかという説もあるにはありますよねぇ!? まあ勿論、出来る事なら出て来ていただきたくはないと健康通も思いますが、案外平気な方は平気なのでしょう。
さてさて、そんな初夢は、元旦の朝に見る夢なのか? それとも、元旦の夜に見る夢なのか?? いや、どちらでもなくて、初夢は新年2日の夜に見る夢だとか、新年3日の朝に見る夢だとかという意見もありますね。
そこで調べたところ、本来初夢というのは、やはりその年最初に見る夢という事で、元旦の明け方に見るのが理想なのだそうですが、最近はカウントダウンやニューイヤーイベントなどと言って、大晦日から元旦に掛けて眠らない人も少なくありません。そこで、お正月三が日の間の夜に見る夢、つまり、元旦から2日に掛けてか、2日から3日に掛けての夜に見る夢を初夢とするという暗黙のうちの定義が存在するようです。
という事で、友達が見た奇妙な夢も、健康通が見たとぼけた夢も、一応は立派な初夢になるようですね(*_*)。
因みに、初夢に登場すると縁起の良いものと言えば、皆さんもよ~くご存じ、富士山・鷹・茄子の三種で、“一、富士・二・鷹・三、茄子などと言います。さてさて、皆さんは素敵な初夢ご覧になりましたか?
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Posted by 健康通 at 23:47Comments(0)暦&歳時記

2013年01月02日

箱根の山の神

今年の箱根を征するのは?
毎年我が家では、1月2日と3日は、箱根駅伝と決まっています\(・o・)/ワア!あい。
新健康通日記:箱根の山は天下の険
今年の注目は何と言っても、東洋大学の2連覇なるかどうかという事にあるでしょう。
東洋大学は昨年まで、新山の神の異名を持つ柏原竜二選手の活躍により、とにかく往路では途轍もない強さを誇って来ました。何せ4連覇を達成し、目指すは5連覇だったのであります(・。・)。
しかし、その柏原選手は、昨年の春に卒業し、今年は実業団の強豪「富士通」に入社! 昨日の群馬ニューイヤー駅伝で華々しいデビューと有終の美を飾りました。
そう、今年の東洋大学は、昨年までの東洋大学とは全く違うチームと考えなければならないのです。
そもそも、この柏原選手が新山の神と呼ばれるようになったのは、嘗て初代山の神の呼称を持っていた順天堂大学の今井正人選手がいたからです。その今井選手は、卒業後入社したトヨタ自動車九州の陸上部で主将を務め、毎年元日の実業団駅伝で活躍していますね(*^_^*)。
ところがところが、今井選手の抜けた順天堂大学は、一気に弱小チームになり、シード権を逃すどころか、予選にも敗れるという低迷期を辿る事となってしまいました。その例があるだけに、今年の新生東洋大学の実力がどこまで本物なのか? 今まで本当にメンバー全員の力で勝って来たチームなのか?? 柏原選手が抜けて初めて分かる真の東洋大の姿、やはり気になるところですよね(*^_^*)。
でも、蓋を開けてみればそれどころではなかった!
勿論、今年の往路5区の最大の話題は、日体大の服部翔大選手が見せた底力と執念による逆転優勝だった事は認めます。でも、健康通が個人的に注目したのは、法政大学の関口頌悟選手!! 嘗て柏原選手が打ち出したこの区間での8人抜きをあっさり達成し、13位から5位まで順位を上げました。彼の活躍により、法政は明日の繰り上げスタートを免れたのです。柏原選手が抜けて初めての箱根、早々三代目山の神の登場となりましたよ(・・||||rパンパンッ。しかも、関口選手はまだ2年生ですからね、来年も、再来年も箱根の山に挑める訳です。これは否が応にも関心と期待が高まるというものでしょう。鬼に思い切り笑われそうですが、早速もう2014年の第90回記念大会が楽しみでしかたなくなった健康通なのであります(*^_^*)。
因みに、山の神というのは、山に宿る神の総称。所謂「山神(やまがみ)」ですね。古くは古事記や日本書紀に登場するイザナミノミコトや、日本神話に登場する大山祇神(オオヤマツミ)などが有名なところでしょうか!?
そんなこんなの山の神ですが、本当は女神であるという事を、皆さんはご存じですか? しかも、かなり恐ろしい女性らしく、欧米では、口うるさい奥さんの事を“うちの山の神”というのだそうです。だったら、健康通は超立派な山の神だと酔っ払いの旦那が言っている事は言うまでもないでしょう(ーー゛)。
実際日本でも、そんな山の神の女心を巧みに活かしてご機嫌を取ろうと、女人禁制の山を作ったり、お祭には男性しか参加してはならないというルールを作ったりと、あれこれ工夫して来たようです。また、地域によっては、山の神の美貌を引き立てるために、あえて不細工の代表格と言えるオコゼの干物をお守りとして身に付け、山に入る習慣の残っているところもあるとか…(^0_0^)ナルホド。
けれど、毎年お正月に箱根に現れる山の神は、紛れもなくこれからの日本の陸上界を背負って立つ青年たち! 明日も存分に楽しませてくれる事でしょうね(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 16:36Comments(0)スポーツ

2013年01月01日

お正月にはお雑煮!

皆さ~ん、新年明けましておめでとうございま~す!
昨年は本当に数えるほどしかアップ出来なくて、特に終盤は完全にリタイアしてしまっていましたが、今年も一応このブログは続けて行きたいと思っていますので、どうかよろしくお願い致します(._.)オジギ。
ところで、健康通は毎年元旦になると不思議に思う事があります。それは、何故お正月にお雑煮を食べるのだろうかという事です(?_?)。
しかも、そのお雑煮も、地域によって随分中身が異なります。因みに、バリバリの関西人の健康通の家では、お雑煮と言えば白味噌に丸餅と決まっているのですが、全国的に見ると、すまし汁に角餅というのが圧倒的多数のようですね(;_; )( ;_;)ヤンヤン。
実際、昨年の暮れにお話をお聞きした料理研究家の先生のご説明でも、お雑煮というのはお餅を主とした汁料理で、地域や家庭によって大きな違いがあるものの、焼いた切り餅、即ち角餅を入れたすまし汁が一般的であるとの事でした(--)(__)。
ところで、元気に長生きする秘訣はやっぱり、好き嫌いなく、何でもしっかり噛んで、しっかり食べる事! これに尽きるという事は、皆さんもよ~くご存じの事でしょう。そして、そのためには、いつまでも丈夫な歯を守り続けなければなりません。そう、健康な歯こそが、健康な人生の基本! そこで、大昔の中国では、年齢を表す「齢(よわい)」という字を「年歯」と書き表していたそうです。
つまり、丈夫な歯には長寿への願望がこめられていて、今のように入れ歯や差し歯、そしてインプラントと言ったデンタル技術など想像も出来なかった時代には、歯がなくなると共に寿命もなくなって行くという原理が成り立っていたんですね。その証拠に、有名な中国古代書の一つである論語にも、生命の終り、寿命が尽きる時を表す言葉として「没歯(ぼっし)」という表記が掲載されています。さらに、“人生は短く、術のみちは長い !”という名言で知られる古代ギリシャの医師:ヒポクラテスも、“長寿者はたくさんの歯を持つ。即ち、健康者は歯が丈夫で老年になるまで保存される!!”という研究発表を出していますからね、やはり歯は長寿の源という考え方が常に人々の根本にあったのでしょう。
そこで大昔の中国には、毎年お正月になると、膠牙餅(こうがせい)と呼ばれる堅い飴のような物を嘗めて、歯の健康と長寿を祈る慣わしがあったそうです。それが平安時代初期に日本にも伝わり、毎年宮中では年の初めに歯を固めると称して、鏡餅と大根などの堅い野菜、それに猪や鹿、あるいは雉肉などを焼いて食べる「歯固」という行事が行なわれていました。この事は、紀貫之(きのつらゆき)の「土佐日記」や紫式部の「源氏物語」にも記されていますし、「里見八犬伝」で知られる江戸時代の作家:曲亭馬琴(きょくてい・ばきん)、滝沢馬琴とも呼びますが、まあとにかく、その馬琴さんの書かれた「玄同放言(げんどうほうげん)」には、“老年になっても歯がしっかりしている人は長生きできる。それで歯を与波比という。わが国のならわしで初春に大きな餅(鏡餅)を固めて、松柏の類とともに飾って延年を祝い、しかる後これを食べる。名付けて歯固(はがため)という。”という一説が掲載されています。
今日は、別に元旦だから、こんな長寿の話をした訳じゃないですよ。実はこの歯固の儀が、後にお正月にお雑煮を食べるという週刊に繋がって行ったのだと言われているんですねぇ(^0_0^)ナルホド。
我が国でお雑煮という言葉が初めてお目見えするのは、室町時代に書かれた「鈴鹿家記」という書記で、それまではどうやら“烹雑(ほうぞう)”という呼称が用いられていたようです。当時の烹雑は、野菜や乾燥食品とお餅を一緒に煮込んだ野戦料理の一つで、武家社会においては、一種の縁起担ぎのメニューでもあったようです。そのため、供宴の席には欠かす事の出来ない一品で、それも本膳料理では、立派な秀衡(ひでひら)椀に盛って一番最初に出す品と定められていたようです。武士たちにとってお雑煮は、それだけ重要な物だったんですね(゜ω゜)。
それがやがて一般社会でも受け入れられるようになった背景には、“一日は夕方から始まる!”という古来の日本人の考え方が手伝ったようです。この論理で行くと、元旦は大晦日の夕方から始まる訳ですよ。つまり、紅白歌合戦は一年の最後の一大イベントではなく、一年の最初の一大イベントになっちゃうんですねぇ(゜ω゜)。
そこで、元旦の始まり、即ち、大晦日の夕方に神様にお供えしたお餅や野菜などを夜明けと共に下げ、新年に初めて汲み上げられた「若水」と呼ばれる水と初めて起こした火を使って煮た物を食べるという習慣があっさり定着したようです。ただ、武家社会では烹雑と呼ばれていた元祖お雑煮ですが、一般ピープルの間では“煮雑(にまぜ)”と呼ばれていたらしく、この事からも、いかにいろいろな具材を入れていたのかという事がよく分かります。また、地域によって汁の味付けや具材が大きく異なるのは、神様にお供えする特産物などの違いが大きかったからなんでしょうね、きっと…(*^_^*)。
ただし、お餅だけは外せないというのは、昔はお餅の原料となるお米が非常に貴重な食材であったからに他なりません。そのため、お餅は、お祝いの日や五節句など、特別な日に食べる特別な食べ物だったのです。そこで、新年を迎えるに当たっては、地域の人々が集まって餅つきをし、他の地場産物と一緒に神様にお供えをした後、それをみんなで分かち合って食べる事によって、前年を無事に終えた事に感謝すると共に、本年の健康と豊作を祈ったそうです。
ようするに、お正月にお雑煮を食べるのは、その原点となっている歯固から考えても、やはり無病息災を祈願するものと考えていいでしょう。実際、歯がなければ危なくてお餅を食べる事が出来ませんから、お雑煮も味わう事が出来ないのです。
最近は二日も三日もお雑煮が続くのは嫌だとおっしゃる方も多いようですが、そこは二日も三日もお雑煮を食べられる事に感謝して、明日も明後日も、有り難く、そして美味しく、みんなでお雑煮を食べましょう(^_^)V)。
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Posted by 健康通 at 22:49Comments(0)暦&歳時記